話題:連載創作小説


『まあ、このカップ…まだあったのね』

ミスマープルの意外そうな顔に少し戸惑いながらも、菜奈が答えます。

『ええ…あそこの棚の一番隅っこに置いてあったのですけど…』

何がどう意外なのか知る由もない菜奈としては、そう答えるしかありません。するとミスマープルは、差し出された紅茶カップを自らの手に取って、少しの間くるくる回しながら眺めていましたが、やがて諦めようにカップをレジ台の上に置きました。

『おかしいわねぇ…値札は付けてあったはずなのだけど』

菜奈も困ってこの紅茶カップをレジに持って来た訳ですが、ミスマープルもそれとはまた別の意味で困っているようでした。

二人の困り人の視線はカップの中の檸檬色をした仔猫に注がれていましたが、もちろん、そんなふうに見つめたからと云って何が解決する訳でもありません。僅かな沈黙の後、口を開いたのはミスマープルの方でした。

『このティーカップ、店を開いた当時に仕入れた物なのだけど…もうとっくに売れてしまったと勘違いしていたから、私も驚いているの』
開店当時と云うのが何時頃の話なのかは判りませんが、云われて見れば確かにアンティークっぽい古めかしさも感じられます。

『ああ、そうだったのですか…いえ、ふと目に留まって“可愛いらしい紅茶カップだな”って思って…それでちょっと値段が気になったものですから』

菜奈が云うと、ミスマープルは何故か同意するように頷きながら言葉を返して来ました。

『“ふと”、“ふと”ね…判るわ』

ミスマープルの話に拠れば、この店をオープンする少し前に商品の仕入れも兼ねてフランスへ行った際、偶然立ち寄った小さな街の雑貨屋で、この紅茶カップに“ふと”目が留まり、それで半ば衝動的に買い求めたという事でした。

『きっと、その時、私とティーカップの波長がピッタリ合ったのね』

今度はミスマープルの言葉に菜奈が頷く番でした。

それにしても…菜奈は既に買うつもりで紅茶カップをレジまで持ってきていましたから、値段が判らないままでは困ります。

『それで…値段の方は』 

おそるおそる尋ねる菜奈に、ミスマープルは少し考え込むような仕草をした後、意外な言葉を云ったのでした。

『このティーカップは貴女に差し上げますわ』

《続きは追記からどうぞ》。

 
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