話題:連載創作小説
誘拐犯との電話でのやり取りが現在進行形で続いている水島邸ではあるが、ここで一旦、時と場所を移して別の事件について語ろうと思う。
場所は水島邸より直接距離にして数十キロ離れたマンションに、時刻は現在より約1時間ほど前となる午後六時だ。
その事件は直接的には水島邸で起きている誘拐事件には何の関係もない。だが、それでいて実は深い関係があるのだ。
この、極めて逆説的な言い回しの意味は、この物語を最後まで読めば判るだろうと思う。
―――――――
水島邸より数十キロ離れた都内某所にあるレンタル契約式マンションの一室で、誘拐犯がリビングの椅子に腰かけながらチラリと奥の部屋に視線をやると、そこには相変わらずゲームに熱中する人質の少年、水島博之の姿があった。
張り合いが無いぐらい手間の掛からない人質だな…。
何とも身勝手な思いを胸に抱きながら、誘拐犯が壁の時計に目を移すと、二つの針はちょうど午後の六時を指していた。
次に身の代金要求の電話を掛ける迄には、まだ一時間ほど余裕がある。やや暇を持て余した誘拐犯が何気なくテレビを付けると、ちょうど夕方のニュースが始まるところだった。
もとより特に観たい番組があった訳ではないので、そのまま画面を眺めていると、トップニュースとして流れ始めたのは、I県を本拠地とし精力的に事業を展開しているレジャー産業【Kコーポレーション】で突然発生した“全社員の同時失踪”という、何とも不可解な事件であった。
【Kコーポレーション】は、ここ数年で俄かに台頭してきたレジャー産業界の若き雄で、その名前には誘拐犯も聞き覚えがあった。
それが、昨夜から今日にかけての僅かな間に、会長から平社員までの全ての社員、その数およそ600人が、ほぼ同時に行方不明になったというのだ。奇怪といえば、余りにも奇怪すぎる事件であった。
《続きは追記に》
話題:連載創作小説
二人が居る部屋の何処を見回しても五千万の札束の姿は無かった。つまり、お金は全く用意出来ていないという事だ。いや、それどころか実は、二人とも身代金の工面には全く動いていなかったのである。
(おいおい!何の為に三時間もやったと思ってんだ!?‥奥さんの金持ちの実家に頼めば五千万ぐらい直ぐに用意出来るはずだろ!?)
犯人は明らかに苛立ち始めていた。それを察した佐智子が、何とかして相手の気を落ち着かせようとする。
「もうちょっと‥もうちょっとだけ待って下さい。実家の父が今晩、お金を持って此処に来る予定になってますから‥」
勿論そんなのは全くのデタラメだ。しかし、今は犯人の気持ちを落ち着ける事が何よりも大切だと佐智子は考えたのである。そして、その思惑通り、佐智子の言葉を聞いた犯人は、幾らか落ち着きを取り戻したようであった。
(そうか‥最初からそう言えばいいんだよ。なあ、あんまり俺を苛つかせるなよ)
「判った、金は大丈夫だ。でも、その前に博之の声を聴かせてくれ。少しでいいんだ。無事さえ判れば身の代金は惜しくない。勿論、博之が帰ってきた後も警察には連絡しない」
電話の中に僅かな沈黙の時が訪れる。どうやら犯人は隆博の懇願に迷っているようだ。すかさず、犯人が僅かに見せた心の迷いに乗じるかのように佐智子が訴えかける。
「お願いします!私たちにも希望をください!声を聴かせてくれたら、あと五百万払いますから!」
その五百万は犯人にとって決定的な数字であった。
(…判った。でも、少しだけだぞ)
そして、犯人の短い言葉の後、電話は保留状態となった。ようやく息子の無事を確認出来るのだ。本来ならば、佐智子と隆博の顔には何と言うか希望の光のようなものが射すはずだ。
ところが、スピーカーから流れてくるトロイメライの余りにも場違いで優美なメロディーを聴きながら、二人の表情はどういう理由(わけ)だか、明らかに先程よりも沈痛の色を濃くしていた…。
《続きは追記に》
話題:連載創作小説
さて、件の犯人の電話から少し時は流れ‥
夜の帳が降り始めた水島邸、午後六時五十分。
妻からの電話で慌てて帰宅した夫の隆博と共に、佐智子は誘拐犯からの二度目の電話を今や遅しと待ち続けていた。
電話機は既に電話台からリビングのテーブルの上に移されている。
二人は並んでソファに浅く腰掛け、少し前屈みになりながら未だ鳴らない電話を見つめていた。
「博之は‥大丈夫だろうか?」
沈黙に耐え切れず、隆博が佐智子に話し掛ける。
「…今は信じるしかないわ」
絞り出すような声で佐智子が言う。
「そうだな‥すまん」
すぐに途切れる会話。夕飯時にも関わらずキッチンは灯が消えたように冷たく暗い。二人とも食事の事など微塵も頭になかった。
「やっぱり警察に連絡した方が‥」
再び隆博が佐智子に話し掛ける。
「ダメよ!それはダメ!だって、博之がもしも…」
少し取り乱した様子で佐智子が訴える。
「そうだ‥そうだな‥すまん」
そしてまた、二人に沈黙が訪れる。
静まり返った部屋の中、時計の秒を刻む音がコチコチコチと、やけに大きく響いて聴こえる。
先の会話から判るように、家の中には隆博と佐智子の二人しかいない。つまり、警察に連絡はしていないのだ。
とは言え、二人とも日本の警察を信用していない訳ではない。ただ“身の安全”を考えた場合、警察には連絡しない方が良いだろうと、短い話し合いの末、判断したのだった。
そして、二人の見つめる置き時計の長針が文字盤の12の数字にピタリと重なった時‥
着信ランプの激しい点滅と共に運命の電話が鳴った。
「はい、水島です」
受話器を取ったのは佐智子だった。彼女は直ぐに電話をスピーカーモードに切り替える。
(はい、今晩わ。で‥お金の方、段取りはもう付いたのかな?)
《続きは追記に》。
話題:連載創作小説
「お金なら、出来る限り用意します」
(なんだ、判ってるじゃない。うん、こういう具合に話がテンポ良く進むのは良い事だ)
誘拐犯の口ぶりは、人質の所有という強みのせいで余裕綽々であった。
「それで…私たちはどうすれば?」
相手の嘲るような口調を無視するかのように、佐智子が話を進める。
(そうだな‥取り敢えず、明日の朝までに現金で五千万円用意して貰おうか)
「五千万!!」
佐智子は思わず提示された数字をオウム返しに叫んでいた。
「そんな、無理ですっ!うちは普通のサラリーマンで、いきなり五千万なんて言われても、どうやって用意すればいいのか…」
佐智子が示した、ほとんど狼狽に近い困惑は実に正当な感情であった。水嶋家は、ごく一般的なサラリーマンの中流家庭で、とてもではないが、五千万などという大金を一晩で右から左へ動かせるような身分ではない。
ところが、犯人の口から発せられた次の言葉は、佐智子に更なる困惑をもたらせた。
(実家に頼めばいいだろ?)
「えっ?」
(坊主が言ってたぞ。アンタの親、資産家なんだって?)
「博之が?」
(ああ。豪邸の写真も見せて貰ったし、セレブ大集合みたいなパーティーの写真も見たよ)
《続きは追記に》。
話題:連載創作小説
それは、いつもと変らわぬ水曜の午後四時の事だった。
夕食の準備に取り掛かろうと、水島佐智子がキッチンへ入ったところで部屋の電話が鳴った。
佐智子は冷蔵庫の扉に伸ばしかけた手を慌てて引っ込めると、キッチンから少し離れた電話台で着メロを鳴らしながらピカピカと点滅を繰り返す親機の受話器を外した。
「はい、水島です」
このぐらいの時刻に電話が掛かって来るのは珍しくない。この時も佐智子は“どうせまたセールスだろう”というぐらいの軽い気持ちで電話に出たのだった。
ところが、その僅か数秒後。佐智子の表情は一変していた。見る見るうちに顔は蒼ざめ、受話器を握る手も汗ばみ始めている。
少しの沈黙があってのち、佐智子は受話器に向って震えるような声で言った。
「‥も、もう一度言って下さいっ」
微妙な間を置いて、相手が答える。
(‥お宅の博之くんを預かってる。言ってる意味、判るよね?)
その言葉の意味するところは単純にして明快…即ち誘拐である。如何に動揺しているとはいえ、それぐらいの事は直ぐに判る。
佐智子は全身に張り巡らされた神経の全てを、受話器に当てた左耳の一点に集中させた。
電話の低く籠もった声から判断すると声の主は男のようだが、ボイスチェンジャーを通している事は明らかだったので、実際のところ、掛けて来たのが男なのか女なのか軽率に判断する事は出来ないだろう。
が、例え、掛けて来たのが誰であろうと今ここで起こっている事自体に変わりはない。
誘拐…
(おい‥聞いてるのか!?)
「は、はい!聞いてます!ちゃんと聞いてます!」
(ならいい。で、念のため確認しとくけど‥博之くんはお宅のお子さんで間違いないよな?)
間違いはなかった。
水島博之は佐智子と、その夫である隆博の一人息子で、年齢は六歳、小学校の一年生である。
「はい!間違いないですっ!」
確かに、この時間、いつもなら博之は家に帰っている。その事は佐智子も気にはなっていた。しかし、最近、クラスに仲の良いお友だちが出来たと言っていたので、大方、学校帰りに寄り道でもしているのだろうと、佐智子はタカをくくっていたのだった。
(まあ、そう興奮しないで‥って言っても無理か。まあ、兎に角だ、もう少し小さな声で話してくれないかな?いちいち電話口で叫ばれたんじゃ、五月蝿くて仕方ない)
〜続きは追記に〜。