話題:髪型
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《国際髪の毛フォーラム》は、完全にカロヤン教授とアポジカの対談会となっていた。
ここでカロヤン教授は、二枚目のスライド写真を映写機にかけた。
写真に写っているのは、一枚の古びた紙のように見える。
『これは最近発見された古代マヤの古文書の1ページと思われます。アポジカ君、今から、このページの一部を拡大するから描かれている挿し絵をよ〜く見て下さい』
そう言うと教授は、スライド映写機のボタンの一つを押した。カチャ。軽い作動音と共にマヤの古文書のページの一部が拡大される。
「こ、これは…」
そこに描かれていたのは、広場に集まる無数の古代マヤ人たちと、彼らの頭から浮上する“髪の毛たち”の姿だった。
『古代マヤ人たちは知っていたのです。いずれ宇宙から我々のアダム、つまり、髪の毛を迎えに“地球外毛髪体”がこの地球にやってくる事を』
古代マヤのカレンダーの話なら、興味本位程度ではあるが、アポジカも知っている。【アセンション】と呼ばれる次元上昇が起こるとか…。しかし…この絵を見る限り、【アセンション】とは次元上昇の事ではなく、“髪の毛上昇”という事になる。
「と言う事は、その時期は…」
『そう、恐らくは2012年…約1年後です。つまり、我々人類は約1年後には、男女問わず全員が“つるっ禿げ”になってしまうのです』
これは、とんでもない事態だ。全ての床屋や美容院は廃業に追い込まれ、この世からあらゆる整髪料が消える…。アポジカは数々の不吉な想像を巡らせながら、カロヤン教授に問いかけた。
『地球外毛髪体が我々人類の全てのアダム、つまり髪の毛を彼らの母星へ連れ帰ってしまったら、残された我々【イブ】はどうなってしまうのでしょうか?』
教授の表情がにわかに曇る。
『残念ながら、それは判りません。ハゲの方々のように我々も単独イブとして生命活動は維持出来ると私は予想しているのですが、全てのアダムが失われた世界で我々がどうなるのかは全く想像がつかないのです』
確かに、人類の起源(ルーツ)であるアダムの永遠なる喪失は、我々の存在意義の完全なる喪失とも受けとれる。
「アダムを守らなければ」無意識にアポジカの口から言葉がこぼれる。
『私もアポジカ君と同じ考えです』
「しかし、それにはどうすれば?」
『判りません。今はただ、この【原初アダム】を厳重に保管しながら様子を見るしかないでしょう』
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「メッセージ…」
『そう。我々【イブ】は、もはやアダムと一心同体である事。ファースト・アダムは既に滅しており、現在のアダム達は、故郷である地球に留まりたいと願っている事、それを“髪型”として波長で伝えて欲しいのです。このファースト・アダムを使って』
それは、百戦錬磨のアポジカにして未だかつてない困難な作業だった。勿論、その事はカロヤン教授も十分過ぎるほど承知していた。
そんな重苦しい空気を打ち破ったのは、先ほどから黙って二人の話に耳を傾けていた女だった。
「アポちゃんなら出来ると思う。だって、アポちゃんのカットには“意志”があるもの。ねぇ、思い出して!野球少年や、お婆ちゃん達の無理難題を!」
そうだった…アポジカは思い出していた…。
「ホームランの数が増えるようなスポーツ刈りにしてください」という野球少年のオーダー。
「顔が“松嶋菜々子”に見えるような白髪染めをしてちょうだい」と言ってきた米寿のお婆ちゃん。
アポジカは丹精を込めた仕事により、それらの“ほぼ不可能”と思われる客達の注文にしっかりと答え続けてきたのだった。
野球少年は「ホームラン数が去年の倍になりました」と喜びの報告をしてきたし、お婆ちゃんも「ちょっと気になってるお爺ちゃんに“松嶋菜々子っぽい”と言われて三十歳若返ったような気持ちになった」と顔を赤らめていた。
野球少年は、少年期特有の“一年で体格が大きく成長する”事によりホームランが増えたのではなく、お婆ちゃんの場合も、そのお爺ちゃんが老眼鏡をかけ忘れていた上に“松原智恵子”と言ったのを聞き間違えた訳ではない。いずれも髪型の力がそうさせたのだ。
「アポちゃんのバリカンには、人の想いを伝える力があるのよ」
『その通り。今回は全人類の願いを“一つの髪型”として表現すれば良いのです。もはや人類に残された希望は、アポジカ君のバリカンだけなのです』
どうやら、残された道は一つしかないようだ。
やれるだけやってみよう。アポジカは丹田にググッと気を込めた。駄目なら駄目でしょうがない。失敗したっていいじゃないか。だって…
バリカン
だもの
「判りました。魂を込めてバリカンを入れさせて頂きます」
すぐさまダミーヘッドが用意され、ファースト・アダムが装着される。
「それでは…」
『頼みます。理髪代は私が払いますから』
かくして、人類の始祖であるファースト・アダムに対して、歴史上初となるカットが行われたのだった…。
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