『自分以外全員ビル・ゲイツ』


うららかな日曜日の昼過ぎの事…

オフィス街の中央に位置する古ぼけたビルの四階の一室にある非・営利案法人【電話お悩み相談室】に一本の電話が掛かってきた。

相談員「はい、お悩み相談室です」

受話器を取ったのは、ベテランの男性相談員だ。


相談員「もしもし‥」

電話の男「あ、もしもし‥あの‥」

電話を掛けてきたのは、声から察するに、まだ若そうな感じの男性であった。

相談員「はい、どうしました?」

電話の男「それがですね‥何か変なヤツだとか思われちゃうかも知れないんですけど‥」

相談員「いえいえ、大丈夫ですよ。どんな事でも構わないので、遠慮なく話してください」

すると、ベテラン相談員の柔らかな物腰に安心したのか、相談者の男はフゥと息を一つ吐いた後、自分が抱えている悩みについて語り始めた…。

電話の男「自分、大学生でそろそろ就職活動を始めなきゃならないんですけど…それが何だか急に不安になって来ちゃって…」

ああ‥そういう事か。最近は不況のせいで、就職に関する相談がかなり増えている。

相談員「なるほど…いや、最近は就職で悩んでいる方がかなり多いのですよ」

電話の男「ああ、やっぱり‥」

相談員「で、貴方も‥良い就職先が見つかるかどうか不安だと‥そういう事ですよね?」

すると、どういう訳だか相手は少し歯切れの悪い感じで言った。

電話の男「まあ、結局はそういう事なんでしょうけど‥いや、やっぱりちょっと違うかな」

相談員「えっ?」

思わぬ反応に虚をつかれた相談員が一瞬口ごもる。

しかし電話の相手は、相談員の気持ちなど全くお構いなしと云った感じで話の先を続けてきた。

電話の男「僕、思ったんです‥もし、世界中の人間が僕以外全員ビル・ゲイツになったらどうしようって…」

相談員「えっ?……えっ?」

電話の男「もし、自分以外の人間が全員ビル・ゲイツになったら…はっきり言って、ビジネスチャンスなんてゼロじゃないですか?」

これは思ってもみなかった内容だ。完全に現実の相談ではなく妄想世界の相談だ。

相談員「ビル・ゲイツね‥確かに、ビル・ゲイツの軍団を相手にビジネスで成功するのは厳しいかも知れないなあ」

取り敢えず、相談員は相手に話を合わせて様子を見る事にした。


電話の男「でしょう!それどころか、どんなに小さな会社の面接も受からないと思うんです。何たって、受けに来るのは僕以外全員ビル・ゲイツなんですから!」

相談員「まあ‥確かにね」

これには流石のベテラン相談員も困ってしまった。

ある程度の具体性を帯びた妄想の相談…はてさて、いったいこれはどうした物か…

ベテラン相談員がこの先の対応を考え始めた時、相談室の入り口のドアが開き、寝癖ボウボウ頭の変な男が入って来た。

男の名前は【エスカルゴ寺岡】と云って、知る人ぞ知る“お悩み相談”のエキスパートであった。


お昼を裕に過ぎての出勤は完全に遅刻である。しかも何故かパジャマ姿での登場だ。

が‥ベテラン相談員は、彼の姿を見るなり“助かった”とばかりに、受話器をエスカルゴ相談員に渡したのだった。

相談員「ちょっと変わった相談なんだ。頼む、後を継いでくれ」

相談員の言葉にエスカルゴ氏の目が輝いた。

エスカルゴ「うん‥判ったよ父さん!この三百年続いた酒蔵は、僕が立派に後を継いでみせる!」


もちろん、エスカルゴ氏はベテラン相談員の子供ではないし、此処も三百年続いた酒蔵などでは全くない。

全ては単なる勢いで飛び出した言葉…そして、それがエスカルゴ寺岡と云う男なのだ。

エスカルゴ相談員は受話器を受け取ると、電話の相手に向かって挨拶をした。

エスカルゴ「お電話かわりましたが、電話機はかわってません」

ややこしい挨拶に、今度は相手の方が少し虚をつかれた感じになった。

電話の男「えっと…アナタは?」

エスカルゴ「聖徳太子です」

‥しばし沈黙の後‥

電話の男「あ…もしかして、エスカルゴさんですか?」

電話の男はハッとしたような声で言った。

エスカルゴ「さすがだよ明智君。何を隠そう私こそ“お悩み相談のエキスパンダー”エスカルゴ寺岡だ。で…何で判ったの?」

電話の男「いや…初対面の相手に平然とテキトーな事を云える人間って、僕が知ってる限りではエスカルゴさんぐらいしか居ないから」

するとエスカルゴ相談員は、何やら少し照れた感じで頭をポリポリ掻きながら相手に向かって言った。

エスカルゴ「そんな風に褒められると照れるなあ…君、是非今度、法隆寺の方に遊びに来なさい」


電話の男「ああ、そのテキトーさ、やっぱりエスカルゴさんだ!いやあ〜光栄です!僕、例のブログの【テキトーお悩み相談室】ずっと読んでたんですよ」


エスカルゴ「またまた嬉しい事を…じゃあ、感謝の気持ちとして、さっき道で拾った財布をプレゼントしようかな」

電話の男「いや、それはマズいような…っていうか…財布、交番に届けた方が良くないですか?」


エスカルゴ「勿論そのつもりさ。但し、中身は私が頂くけどね」

電話の男「それって、更にタチが悪くなってませんか?(笑)」

エスカルゴ「タチ・ワルシ…あぶない刑事」

電話の男「いや、それ‥舘ひろしでは?」

エスカルゴ「関係ないけど‥“真矢みき”って上下ひっくり返しても名前として成立するよね‥“三木まや”で」

電話の男「それ‥つい何日か前に変なブログで読みましたけど‥二度聞かされるのはちょっとキツいです。それより、お財布ちゃんと交番に届けて下さいね」

エスカルゴ「まあ、確かに…アリババは良くないな」

電話の男「それを言うならネコババです(笑)」

二人のやり取りをスピーカーで聴いていたベテラン相談員は、感心しながらエスカルゴ氏を眺めていた。

流石に自分でエキスパンダーと云うだけの事はある。電話を変わってからの僅かな時間で、完全に相手をリラックスさせる事に成功している。

もっとも、そのエスカルゴ氏は、相手よりも遥かにリラックスしているようだが‥。

エスカルゴ「で…何か悩みがあるんだって?‥当ててみようか?‥ズバリ、遠足のお菓子買うお金を先に使っちゃった‥でしょ?」

そんな‥小学生じゃないんだから!
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