☆初めに☆

この【ナンセンスの窓辺】シリーズは、各種描写を出来るだけ削ぎ落とした簡潔なスタイルと云うコンセプトの元、新たにお届けする短篇集です。


内容は、オチ(または起承転結)のあるジョーク的な話から、全くもって意味不明な呟きなど、多少、実験的な意味合いをも含めつつ、ショートオムニバス形式でお送りして行こうと思っておりますので、気軽に楽しんで頂ければ幸いで御座います。


2011.8.30


W・シェークスピア.
 (嘘)


―――――――


第1話『ショック』


郊外にある小さなメンタルクリニックの診察室。

女性「私…自分は火星人だと思うんです」

診察を受けに来た女性の告白に対して、担当カウンセラーの男性医師は落ち着いた様子で言葉を返した。

先生「なるほど、火星人ですか…で、貴女がそう思う根拠は何なのですか?」

女性「いえ、根拠は無いんです。でも、どうしても火星人だとしか思えないんです。やっぱり私、火星人ですよね?」

先生「いや…私には、どこからどう見ても地球人…それも、日本人の女性に見えるのですが」

女性「日本人は日本人でも、火星の日本人だと思うんです」

これでは埒が開かない、そこでカウンセラーは話の方向を変えて、治療に向けての一歩を踏み出す事にした。

先生「ところで…自分が火星人だと思うようになったのは何時頃からですか?」

この手の問題は、それが始まった時期に、原因となる重大な出来事が隠されている場合がある。

女性「思うようになった時期…そうですね…云われてみれば…5年前…そうだわ、ちょうど5年前の8月の終わりからです」

5年前の8月の終わり。具体的な日時が判明したのは大きな進展だ。いや、進展どころか決定的とすら云って良い。

先生「5年前の8月の終わり…良いですか、ここは非常に大切な部分です…よく聞いて下さい、もう一度云います、5年前の8月の終わり、貴女にとって何か重大な出来事がありませんでしたか?」

ある筈だ、必ず。カウンセラーはかなりの確信をもってそう思っていた。


女性「少し待ってください…なんだか記憶が変な感じでこんがらがってしまって…5年前…8月…終わり…」

間違いなく彼女は記憶の中で何かを封印している。それを引っ張り出す事さえ出来れば…。

先生「焦らないで。ゆっくり思い出して下さい。5年前の8月の終わりに貴女にとって非常にショックだった出来事があった筈です」

女性「ショックな事…ショックな事…」

先生「決して無理に思い出そうとしないで下さい。もしツラいようなら、また次回にしても構わないのですから」

ショックな出来事。それが彼女の精神にダメージを与え、その結果、彼女は自分が火星人だと思い込むようになってしまったに違いない。

女性「いえ…大丈夫…あっ…そうだわ!あの時、あの時に…先生、私‥思い出しました」

そう云うと彼女は、目を伏せて泣き始めた。

その様子を見ているのはツラい…しかし、ショックの原因をしっかりと見つめる事が、解決にはどうしても必要となる。後は、そのショックを少しずつ彼女の心の中から取り除いて行けば良いのだ。

先生「ツラいでしょう…思う存分泣いて構いません。…落ち着いたら、私に教えて下さい‥その時いったい貴女に何があったのかを」

すると女性は、気丈にも顔を上げると、力強い眼差しでカウンセラーを見た。

女性「私‥大丈夫です…全てお話します」

先生「はい。どんな話でも私はちゃんと聴きますから」

恋人との破局か、いや、もっと重大な婚約破棄か…或いは、会社の倒産、保証人になってあげた友人の失踪…

何れにしても、原因さえ判れば道は確実に開けそうだ。

カウンセラーは、今後のカウンセリングのスケジュールを描きながらも、じっと耳を傾けた。

やがて、女性の口が静かに開いた。

女性「5年前の8月の終わり…雨と風がとても強い日でした…その日…その日…」

女性の目から再び大粒の涙が零れ落ちた。

先生「その日…いったい何があったのですか!?」


女性「その日……私の乗って来た宇宙船が墜落したのです!」

先生「えっ!?(・_・)」

女性「宇宙船クレクレタコラ号が墜落したんです、この地球に!…私は思いました、嗚呼、もうこれで故郷に帰れない、あの愛する火星に!…内緒で地球に来たから、誰も私を探しになんて来ないだろうし…」

何だか…

彼女の妄想は更に広がり、しかも具体的になって来ているようだ‥。

カウンセラーは自分の力の無さにショックを受けていた。

しかし‥その程度のショックでは、とてもとても、自分を火星人だと思う事は出来なそうであった‥。


[終]。


☆★☆★☆
more...