『その通りです』
若き医学生議長が答えた。
「そしたら…ウィルスが宇宙から新たに飛来するのを防げれば‥れば‥レバ?‥おいどんはレバ刺しが食べたくなってきたでごわす」
『そうなのです』
「おお、ヤングブラッド議長もレバ刺しが食べたくなってきたのでごわすか!?」
「いや、レバ刺しの話ではなく‥新手のウィルスの飛来さえ防げば‥現存するウィルスは特効薬によって無力化され、やがては消滅するだろう‥と云う方の意味でごわす‥あ、ツラレて“ごわす”とか言ってしまった』
「なるへそでごわす。でも、そうなると‥私のレバ刺しは?」
『レバ刺しは‥後で届けさせます』
「ごっつぁんです!」
レバ刺しは兎も角、これにて議論の焦点は定まった。
如何にして援軍のウィルスが地球に到達するのを防ぐか? 全てはこの一点にかかっていた。
しかし、これこそは難題中の難題であった。
何せ、ウィルスは目視不可能であるし、その個体数も恐らくは天文学的数字である事は想像に難くない。
一体それをどうやって地球の外でブロックするのか? 幾ら討論を重ねても有効と思われる意見は皆無であった。
優秀なヤングブラッド君にとっても、話が宇宙科学や宇宙工学の分野に及べば流石に専門外とならざるを得ない。ましてや、力士に至っては土俵の遥か外の話である。
会議は完全に煮詰まり、夜食に用意されたチャンコ鍋もすっかり煮詰まって味が濃くなっていた。
(何か光明は無いものか?)
悩みに悩む面々の中で、誰より険しい表情を見せていたのが、この日のチャンコ当番である【匂和納豆】(におわなっとう)であった。
(煮詰まったチャンコ鍋を何とか元の味に戻したい‥が、水を入れると味の旨味まで薄まってしまう。かと云って、新たにダシ汁を追加すると全体の味のバランスを崩してしまう恐れがある)
それでも、【匂和納豆】は決して諦めない。何と云っても彼の持ち味はその“粘り”にあるのだ。
一方、鍋を見つめるチャンコ当番の横でヤングブラッド議長は、ウィルスの特性に関して昨夜新たに発見した或る一つの事柄について思考を巡らせていた。
昨夜、解決の糸口を探ろうと覗いた顕微鏡の中で、ウィルスが驚くべき動きを見せたのである。
なんと、ウィルス達がウニョウニョ動き出したかと思うと、整列し、文字列を作り上げたのだ。
このウィルスは人間の文字、言語を理解している!これは驚くべき事実であった。
その文字列がこれだ。
―かってにのぞくな!のぞきはほうりついはんです―
『勝手に覗くな!覗きは法律違反です』
明らかにヤングブラッド議長が顕微鏡を覗いている事を理解しての、ウィルス達の意志表示であった。
ヤングブラッドは、ウィルスの特性に一つの項目を追加した。
特性4[ウィルスには極めて高い知性があり、同時に法律を重んじる生真面目な性質を持つ]
『何とか、この新事実を事態打開の糸口とする事はは出来ないだろうか?』
…ヤングブラッド議長が、この事を会議で発表すると、連なる面々からどよめきが起こった。
だが…ウィルスが高度な知性を持っているとすると…逆に、それを阻止するのは、より困難なのではないか。
それが大方の意見であった。
【匂和納豆】も、チャンコ鍋を再び元の味に戻すのはかなり困難だろうと考えていた。
それぞれがそれぞれの立場で必死に闘っていたのである。
その時、会議室のドアをノックする音がした。
『どうぞ』
議長の言葉に、ドアが開く。立っていたのは郵便配達夫であった。
「速達で〜す♪」それは、現在、[新両国座布団病院]に入院しているピーター・ペペポロビッチ氏からの手紙であった。
ヤングブラッド議長が、文面に目を通す‥
こ、これは!!
そこには、ウィルスを阻止する為の“まさかの方法”が、蛇がのたくったような字―蛇歩体と云うのだろうか?―で書き記されていた。
ヤングブラッド議長は思わずウ〜ンと唸ると腕組みをした。
到底、こんなやり方でウィルスを防げるとは思えない…しかし、ほんの僅かながら可能性はある。他に方策が無い以上、残された道は只一つ。
決行か否か?
会議は評決に移った。
しかし、その結果はヤングブラッド議長に取って非常に残念な物となった。
賛成の7に対し反対が8‥僅か1票差で作戦はお蔵入りとなったのであった。
だが、此処に‥賛成派にとっての救世主が現れた。
速達を届けてくれた郵便配達夫のお兄さんが、
「私は‥試してみる価値があると思います」
と手を挙げ、賛成派に1票を投じたのである。
だが、これは同時に困った事態を引き起こす事にもなった。
賛成が8票、反対が8票と全くの同数となってしまったのだ。
メンバーの視線が、会議室の窓に集まる。窓の外では、ゴンドラに乗った中年のオッサンが鼻歌まじりにガラス窓の拭き掃除をしている。
それは即ち、最後の1票を持つ男の満を侍しての登場であった。
会議は、掃除人に対して窓越しに事情を説明し、賛成か反対かの何れかに1票を投じるように求めた。
いきなり、世界の命運が両肩にのし掛かると云うとんでもないプレッシャーの中に置かれた窓拭きのオッサンは、少し考えた後、窓ガラスに吹き付けた洗剤の白い泡に、指で[賛成]の文字を書いた。
そしてその評決を受けた会議はすぐさま、スペースシャトルを調達し、月に向けての打ち上げ準備を開始したのである。
シャトルの搭乗員には勿論、厳しい訓練を積み重ねたNASAの宇宙飛行士たち‥を差し置いて日本の力士たちが選ばれた。