芥川龍之介の【蜘蛛の糸】の一場面を思い出さずにはいられない“米飯類や乾麺、パン類の買い占め”も、流石にやや落ち着いてきたようではありますが…
数日前の夕方、いつものように帰りにコーヒー牛乳とエクレアを買おうと百円スーパーに立ち寄った際、食料品や電池が全て売り切れているのを見た時には本当に驚いてしまった。
兎に角、品物が無い。
食料品の棚々は、その殆どがスッカラカン状態となっていて、一瞬、【空気】を売っているのかと思ってしまったほどだった。
特に、カップラーメンに至っては只の一個も残ってはいない。
私は何気に、その【売り切れた順番】が気になった。
恐らくは、激辛商品や激マズ商品が最後まで残り、それを見た客も‥
(嗚呼、激辛しか残ってない‥でも、仕方ないから買っていこう)
(あ、これ激マズなんだよな‥でも、仕方ないから買っていこう)
このような感じで、売り切れ御免となったのだろう。
日清の物やエースコックのスーパーカップなどは、恐らく早々に買われてしまったに違いない。
しかし‥これはどうでも良い話。
問題は【缶詰め】の棚である。
此方もカップラーメンほどでは無いが、ツナ缶や焼き鳥缶を始めとして、殆どの商品が売り切れ状態となっていた。
瓶詰めも同じ。
ところが‥
灯り消え
夜の暗さを
思い出す
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話題:詩
その物語の始まりを私は知りません。
その物語の途中、どのような悲しみや苦しみや苦難があったのかも、私は知りません。
しかし私は、
その物語の結末だけはちゃんと知っているのです。
それはこうです‥。
『数々の困難を乗り越えた皆は、その後、いつまでも幸せに暮らしました‥』
そして、
“その物語”とは、私の知る“全ての物語”の事なのです。
全ての物語は、このように終わるべきだと私は思うのです。
もし、悲しい終わり方の物語も必要だと云うならば、それは、例え描かれずとも、その先に必ず“あの幸せな終わり方”が待っていなければなりません。
全ての作者は、
全ての作者は、
それがどれほど、困難で難解なストーリーであろうとも、ただひたすらにそれを目指し、例え己の身が滅しようとも【あの幸せなたった一つの結末】に辿り着かなくてはいけないのです。
『そして皆は、いつまでも幸せに暮らしました…』
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この物語は、天へ向け、送信するものです。