知らない私がここに居る

話題

19歳の時に、服屋のショップ店員として働くまでは、絶対にnot対人で、黙々と同じ作業を続ける様な仕事内容が、自分には一番向いている。
工場のライン作業とか、そっち方面。

飲食店は、メニューの名前が本気で覚えられんし、洗い場とかに回れば対人関係で大変やったし、セクハラされるし陰口言われるしと、以前、接客関係で働いた時の記憶と自分の性格的に、人間怖い怖い!初対面の人と会話なんて、なにその罰ゲーム!表に出る仕事なんて、私にはムリゲー過ぎる。

と、思っておりました。

で、そんな人間がなんで服屋選んだ?と、言われますと

我が家の家訓「 働かざる者食うべからず 」を、おかんから発動されてしまい、更に期限付きで、さっさと仕事見つけてこいやゴルァされたので、たまに行ってたお店に、焦って面接に行ったら、受かっちゃたテヘペロで、働くことになったのです。なってしまったのです。

ええ、基本はお客さんを放置せずに、ガチの接客ありのお店で。
あの時の私は、なんで敢えてこの店を選んだのかと問いたい。問いただしたい。
まぁ、なーーーんにも考えてなかっただけでしょうけども。

いやー当時、面接受かって喜ばしいのと、黙々作業系のハズの自分が、なに自分の首を絞めてるんだとの感情で、すっごく複雑でしたな。

おかんは受かって喜んでるし怖いし、受かった手前やっぱ行けませんとは、店側にも言える根性もないし、おかん怖いし。

で、働いてみたら…
最初はぶっちゃけトイレで隠れて泣きましたw
マネージャーが怖くてってのもあるし、洋服やこの店の基礎知識が全くない状態で接客っても、ねぇ?言葉なんか出て来ますかいな。

いい加減なニアイマスヨーカワイイデスヨーぐらいしか言えない訳で。
そんな接客で、お客さんを捕まえられる訳もなく…。

でもまぁ、泣きながらも、自分なりに雑誌を買いまくって、読みまくって勉強したり、店内の服の種類やらサイズを、把握しだした数ヶ月後には、なんとかかたちになってたり、更に数ヶ月には、接客やべぇ楽しい!までに、変化したことに自分でもびつくりですよ。

基本的に、働いていたお店が個人ノルマ的な物がなかったというのもあって、先輩方と悪い意味で、お客さんを取り合ったりが全くなかったので、基本的には自分との勝負であり、戦いだったのです。

適当な褒め言葉ではなく、いかにこの箱( 店 )の中から、この人の求める物を見つけ出せるか、いかに似合うアイテムを見つけ出せるか、組み合わせを考えれるか、購買意欲をそそる、適当ではない言葉を掛けれるか。

全部、自分の得た記憶や知識をフルに活用する、自分との戦いだと私には感じたので、それが性に合ったんでしょうね。

誰の責任でもなく、自分だけの責任。自分だけの売り方、言葉の使い方。

苦手やった初対面との人と会話をする、ということも場数をこなせば、なんて言うかスイッチのon/offと言うのでしょうか、仕事モードで演じる?切り替える?ことが出来るようになってたり。

これは、服屋辞めてからも身に付いた様で、以前よりは初対面の人との会話に、苦手意識がなくなったので有り難かったです。

因みに最初の頃にマネージャーが怖かったのは、私がすぐに辞めそうで、様子見てたそうです。ヒドイww

慣れだしてからは、かなり歳が上の女性の方やったのですが、普通に世間話やら色んなことを教えてもろたりと、すごく楽しかったし、服以外のことでも色んなことを考えるようになりましたねー。


ここでは約6年間、不況の波に押されて店が閉店するまで、お世話になってました。

店が閉店してなかったら、多分、まだ働いてたと思いますw
それだけ、愛着のあるお店でした。


因みに自分が1人のお客さんに掛けた接客最長記録は3時間。
脳煮えるかと思ったけど、やり遂げたあとの達成感は半端なかったっすw
この記録は、店での最高記録保持者だったりもしますw

ここ数年はもう流石にないですが、連絡交換した顧客さんから、服屋業界に戻った?戻ったら教えてよね?という連絡が、辞めて数年経ってからもありました。

ええ、そんな私に接客されたい方は、ご連絡をお待ちしております( うふふ )


まぁ、あれですよ。BBAから言えるのは、人は何処で分岐点があるか分からないもんで、嫌から始めても、終わりには面白いことになってるかもやしれません。
そして、無駄な経験なんてない、ってことですぬ。




次に働いた、パチ屋でのお局( 私 )話はまた今度。

ディープな話は…次にでも( 多分 )


yonda / comment work
Jun.24 ( Wed ) 2015



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