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別班/山本

砂利道を進む女がいる。街灯は乏しく、足元も満足に照らしてはいない。空は暗いが星は見えない。街の灯りに掻き消されているのだ。石垣の上に立ち、手摺りを前に足を止め、女はそんな街並みを見下ろした。風が吹いて長い髪が靡き、表情が見えない。肩に力はなく、歩き方も生気がない。人通りのない道なので誰に心配をかけることもないが、誰かが見かけたら不安を覚えるような空気を纏っていた。女が手摺りに手を触れる。撫でるように手を回して、手摺りを掴んだその時、女の腕が引っ張られ、その力に任せるように女は体を後ろに倒した。

「……乃木くん」
乱れた髪の隙間から丸い目が見上げるのは、倒れる女の下で共に倒れている乃木憂助。女の手を掴んだのもこの男だ。体をクッションにして、女を手摺りから引き離した乃木は、上から真っ直ぐに女の目を見ていた。
「…痛っ」
乃木を認識して、二人は少しの間無言だったが、女は次第に腕の痛みを覚え、主張した。途端に乃木は慌てて手を放す。
「ご、ごめん、だけど…」
「飛び降りるかと思った?」
解放された腕をさする女は、ふふ、と笑う。確かに…客観的に見るとそうだね、と呟く。
「大丈夫、しないよ」
ただ、と言葉を続ける。ここは街の灯りがまるで星のようで、空の上に立っている気分になるから、そこにいった人の気持ちが少しは分かるかなってぼんやり思っただけ。
そう言って女は、すぐに自嘲した。
「そんな訳なかったけど」
女の言葉は、風に流れた。またも髪が靡いて、女の表情は見えないが、乃木がその髪に触れて耳に流したことで、女の顔が顕になる。まだ一日も経っていないのに、焦燥しきった顔だった。虚ろな瞳が一度瞼に隠れて、そして現れたかと思えば乃木へ向けられる。ゆっくりとした動作だった。口元は弧を描くが、力はない。
「酷い男だね、乃木くん」
隠したくても隠せないじゃない、と言う女は、しかし抵抗も拒否もしなかった。いや、する気力もないのだ。乃木の開かれた脚の間で膝を抱えて出来た山に頭を預ける。細身の体が、小さく見えた。
「ねぇ、覚えてる?」
瞼を閉じて、女はそう言って、過去にいく。三人で飲みに行った時、と言葉を続けた。

彼らは丸菱商事の同期だった。とは言っても乃木と女にそれ以上の直接的な繋がりはない。配属された部署は被ることはなく、同期会にはお互い参加していても、わざわざ隣に行き話す程の仲でもなかった、最初は。二人には共通する人物がいた。
「山本くん、珍しく羽目を外しててさ」
二人に共通する人物が、山本巧だった。落ち着いている割には気さくな男だった。
『乃木には伝えておくよ』
山本が一番信頼している同期だと言ったのが乃木だった。
三人で席につくと、山本はわざわざその女の隣に座るので、いつもなら自分の隣に座る山本の行動に、乃木は頭の上でハテナを浮かべて二人を交互に見たのだ。流石に状況を理解し、乃木は口元を緩めた。
乃木には、とわざわざ言った辺り、周囲に二人の関係は知られることはなかった。あくまで同期で、仲の良い同僚だった。しかしその三人の場では、山本はテーブルに肘をつけて、グラスを持つ手で額を支え、始終破顔していた。幸せを隠そうともしていなかった。
「私、この人とずっと一緒にいたいと思ってたんだよね」
お互い仕事で出世していき、そうなると会う時間も滅多にとれなかったが、女の中でそこは揺るがなかった。時間が合えば会って他愛無い話で笑っていたし、体も重ねていた。喧嘩をすることはなく、相手が傍にいる時の空気が心地良いと思っていた。
「…なんで何も知らないんだろう」
私は、とポツリと呟く女。乃木はただ、乃木の前で自分を守るように小さくなっている女を見ていた。女は乃木を見ず、斜め下を見ているようで、遠くを見ていた。
遺書があった、ロープがあった。それしか警察から聞かされなかった。用意周到だ。自分との関係に問題があったとは思えなかった。仕事も、卒なくこなしていた。有能な男だったのだ。
女は、警察に呼ばれた時のことを思い出していた。遺体の確認を求められ、冷たくなった山本と対面する。どう見たって山本本人だった。肌は明らかに血が通っておらず、首元は紫色のロープ痕があった。あまりのことにもがいたのだろう、引っ掻き傷もあった。苦しんだことが見てとれて、女は込み上げるものを口元を手で覆って堰き止めた。
大柄で彫りの深い警察官に訊ねられたことを思い出す。
心当たりは?あなたはこの時何を?
「何も答えられなかった…。だって、全くなかったんだもの。私は満たされてた、あの人も…満たされてると、思ってた」
その時は会社に残って仕事をして、その間山本から何か連絡がきた訳でもない。遺書に女へ宛てた言葉はなかった。
「私、あの人の何者でもなかったのかな」
人より近い関係だと思っていた。唯一の人だと思っていた。しかし山本は命を絶った。恋人を残して。
「…遺書を見せてほしいって頼んだけど、拒否されちゃった。…ダメなんだろうね、私、何者でもないから」
彼女の、自身の腕を掴む指先に力が籠るのが乃木は分かった。眉間に皺を寄せて、遠くを睨むようだ。
「…いいよ」
乃木が手を伸ばして、女の肩を掴んで引き寄せた。女の肩が乃木の胸に当たる。そのまま乃木の腕に包まれた女は、それでも唇を噛んで、堪えていた。堪えようとしていた。しかし、久々に触れる人の温もりに絆されて、涙腺はいとも容易く決壊した。ボロボロと、大粒の涙が溢れていく。
暫くの間、その場には、女の小さな嗚咽だけが響いていた。


女の家まで送り、寝静まるまでを見届けた乃木は、足音を殺してその場を去った。暗闇に溶けると声がする。黒須だ。
「アフターケアも万全ですね」
黒須が言う。誰がやっているのだか、と揶揄いも混ざっていた。
「同僚だからね」
乃木は動じない。
「モニターじゃなかったでしょう?」
どれだけ彼女を洗っても、その形跡はなかった。彼女は明らかな白だった。
「念には念をさ」
寝静まった女を背に、部屋の中を一通り見たが、テントに繋がるものは何もなかった。
野崎も分かっているのだろう。だから、軽い聴取しか取らなかった。
彼女に裏など一切なく、正しく純白そのものだった。純白で、眩し過ぎて、何も見えていない。しかし、それで良かったのだろう。
「でも彼女は何故あんなところに?」
「あそこは会社からも距離があって、夜は人通りもほぼない。人に繋がりを見せたくなかった山本からすれば、良い逢瀬場所だ」
「…美しくないですねぇ」
黒須が後ろ手に頭を掻く。呆れた様子だ。
「…あそこなら、上にいった山本の気持ちも分かるかと思ったんだと」
乃木の言葉に、黒須は数秒の間の後、それは残念、と笑う。
「山本は下だからな」
乃木の言葉は、暗闇で溶けて消えた。

代償

マクワ

前回の前の話的な。



彼女の眼が、綺麗だと思った。
「どうした?マクワ」
隣でダンデさんが僕を呼んだ。いえ、と口を噤んで、手に持っていたクッキーを口に運ぶ。クッキーに載ったジャムが唇について、ペロリと舐めとる。甘い、と思った。
「美味しいですね」
クッキーをもう一つ手に取る。ありがとう、母の手作りだ、と言うダンデさんは笑って、恥ずかしがることもなく胸を張った。少し離れたところでホップ君やヤローさんと談笑しているダンデさんの母親に目を向けた。家の広い庭に、いくつものテーブルを等間隔に置いて、その上には腕を振るったのだろう様々な軽食が並べられている。それら全てが母の手作りだと言うのだから、息子に対する母の愛の大きさを実感する。ダンデさんは、チャンピオンからおりて以来、少し息抜きをすることを覚えたのか、以前より帰省するようになったそうだ。すると、母親がホームパーティをするようになって、それに招かれたのが僕だった。他にもキバナさんやネズさんだっている。小さなチャンピオンも、マリィさんと一緒に美味しそうにケーキを頬張っている。ジムリーダー達ばかりではなく、ダンデさんの幼馴染だと言うソニアさんもいる。研究者だと言う彼女も、ダンデさんの一家と仲が良いらしく招かれて、研究者仲間を呼んでいた。その中にいたのが、彼女だ。
歳は、僕より少し上だろうか。すらりとした身体のラインに合わせて細くデザインされたワンピースが、足元だけふわりと広がって、清楚の中に可愛らしさもある。胸元までおりた栗色の髪は、頭の後ろの髪留めでゆるりと束ねられていた。そして、ひときわ綺麗だと目を奪われたのは切れ長の大きな瞳。まるで宝石のように輝いて見えてしまった。
その瞳の先は、ケーキだ。
「なぁに熱視線、キバナさん妬けちゃうわぁ」
突然肩を組まれて、背中に重みを感じる。僕とダンデさんのそばにキバナさんがやってきて、面白い物を見つけた小僧のように僕に擦り寄る。
「なんだ?クッキーか?」
ダンデさんは、キバナさんの発言の意味を勘違いして、それまで僕らで話していたクッキーを目の前のテーブルの上から一つ取ってキバナさんに渡した。
「ん、サンキュ」
受け取って、すぐ口に運ぶキバナさん。んめぇ、と素直に感想を述べ、ダンデさんは満足気に頷いた。
「で、誰?」
厄介な人に見つかってしまったー…。キバナさんは僕にだけ聞こえるように囁く。
「いや、何のことやら」
「とぼけんなよ、オレ様は分かってんぜ」
隣のダンデさんが話を逸らしてくれないか、とは思っても別の人物に話しかけられていて、僕らの会話は聞こえていないようだ。
「あの姉ちゃんだろ」
「いや、誰のことを」
「ダァンデ」
僕を挟んで隣に立つダンデさんに声をかけるキバナさん。なんだ?と何も知らないダンデさんが振り向いて、あの姉ちゃんとお話したい、なんて指差すのは彼女らのことだ。あぁ、と合点がいったダンデさんは、ソニア!と声をかけた。
「ちがいま、…あ」
「ほう」
ソニアさんではない、という意味で反射的に口にして、すぐに気付いたが、すぐそばのキバナさんには尻尾を握られた。僕が見入っていた先にはソニアさんとルリナさん、そして、彼女だ。
ダンデさんがソニアさん達に駆け寄るので、キバナさんがついて行き、キバナさんに肩を組まれている僕も必然的について行くことになった。キバナさんは分かっていて、自然に彼女と僕を対面させる。
「マクワさんですね」
僕の目の前に立つ彼女は、ジムリーダーの僕を知ってくれている。それなりの知名度があるのは自負しているが、認知され、名前を呼ばれるだけで胸の奥が熱くなる。
「有名なジムリーダーばかりで、緊張します」
なんて、肩を上げる彼女だが、先程から目の前に広がる軽食にばかり目を輝かせているのを知っている。
「…美味しそうにケーキを頬張ってましたよね」
なんて、やっと口を開いたらこんなこと。いつもの調子はどうした、と我ながら思う。横でキバナさんが震えているのが分かる。ソニアさん達と話しているのに、僕の話に耳を傾けているのだからきようなひとだ。
僕の言葉に、少し目を丸くして、すぐに目を細める彼女は戯けるように微笑んだ。
「甘いものには目がないもので」
疲れた時には甘いものがいいんですよ、なんて言う彼女は、遠くのテーブルにある別のケーキを見ている。
本当に甘いものに目がないらしい。ダンデさんのお母様は料理の天才ですね、なんて言って、そこから視線を外さない。目の前に僕らがいるのに。
「…僕も食べたくなりました」
彼女の視線を追って、テーブルを見る。確かに、そこに並べられたケーキは輝いていて美味しそうだ。
「あら、じゃあ」
彼女が一歩進んだので、その後に続いた。キバナさんの手から解放される。そのまま、背中を軽く叩かれた。その力に押されて、もう一歩進んで、彼女の横に並んだ。
テーブルのそばまで来て、彼女と選んだケーキを口に運ぶ。一口食べたケーキは、とても甘かった。

マクワ

何故か急にマクワ熱が高まった。



「おはようございます」
細い指が髪を撫ぜた。少し冷たい指先が頬に触れる。返事をすることに少し時間がかかった。朝。僕の部屋。
「お邪魔してますよ」
そうだ、昨夜彼女を招いたのは僕だ。
「…すみません、まだ夢見気分で」
「ふふ、ひどいわぁ」
戯ける彼女は、僕が横になっているベッドに腰掛けている。僕から顔を背けて泣き真似をする彼女の腰を掴んで引き寄せた。
「夢にまで見ていたので」
少し冷たい、しかし温もりもある、心地よい温度だ。ずっと望んでいた、その温もりを噛み締めるために頬を摺り寄せる。すると彼女は笑って、上半身だけで僕に覆い被さった。窓から溢れる陽の光が、彼女に遮られる。
「まだ夢ですか?」
「…違いますね」
すぐそばで目が合った彼女は、微笑んで、そして僕の額に唇を落とす。
「………やはり夢では?」
不服に口を尖らせた。そんな僕を揶揄うように笑う彼女が僕から離れる。期待した自分が恥ずかしい。子供を嗜めるように、彼女は僕の手を掴んで、起きるよう促した。

「勝手に冷蔵庫触りましたよ」
そう言って彼女が振る舞う朝食がテーブルに並べられている。
「ありがとうございます」
他人に振る舞われる朝食というのも、久しい。それを彼女が振る舞ってくれたのかと思うと、胸がじんわりあたたかくなる。彩りがあって、栄養も考えられていて、そしてちゃんと美味しい。ロトムに写真を撮ってもらおうかと思ったが、SNSにあげたくなるのでそれはやめた。今はまだ、目に焼き付けるだけにしよう。
朝食を目と口でゆっくり味わっている僕に対して、彼女はパタパタと手を休めない。何をしているのかと思えば、自分の使っていた物を洗ってなんなら水切りも程々にもう拭いている。
「私、この後もう出なきゃいけないので」
「えっ」
まだ今日は始まったばかりなのに?と、頭上に疑問符が浮かぶ。自分がいた証拠を消すように、使っていた物を全て元の場所に戻している。
「えぇ、急遽仕事が入ってしまって」
昨日と同じ服を纏う彼女は、流石に一度お家に帰らないと、と笑う。帰らないと、の後は、勘付かれちゃうかもしれないから、と続くのだろう。何に、パパラッチに。お風呂も勝手に借りちゃいました、と謝る彼女は、もうベランダに向かう。
「あ、の」
僕の横を通り過ぎてベランダへ向かう彼女の手を、咄嗟に掴んでしまう。僕が腰掛けていた椅子が、大袈裟に大きな音を立てた。戸惑いと焦りがそこに見えた。動きを止めて僕を見る彼女。あの、と、また口を動かして、えっと、と何とか言葉を繋げた。
「アーマー、ガア、…呼びますよ」
少しでも彼女との時間を稼ごうとしたが、彼女は面白いことを言うのね、とでも言うように笑う。
「そんなの、尚更バレちゃうわ」
うちの子である程度のところまで行くから大丈夫ですよ、とベランダにボールを向けて、ドラパルトを出す。彼の、姿を消す技を使うつもりらしい。そういえば、昨夜もその技で僕の部屋に訪れた。
「それじゃぁ」
するりと、僕の手の中からすり抜ける彼女の手を、ただ眺めて、僕はそれ以上何も言えなかった。


「…うわぁ…」
キバナさんが瓶から口を離して、発した言葉がそれだ。むしろ言葉でもない。漏れ出た声だ。それが余計に僕の無様さを際立たせる。言うんじゃなかった、いや、言わなきゃいけない。協力してくれたのは、他ならぬキバナさんだ。
「めちゃくちゃ気ィ使われてんじゃねーか」
証拠隠滅、パパラッチ対策、男への朝食ケアまで仕上げて颯爽と去っていってしまった。あれから数日、どこからもそういう話は僕に届かない。彼女の対策は徹底されていた。
「…むしろバレた方が良いのでは…」
「焦るなあせるな」
バシンと僕の背中を乱暴に叩くキバナさん。彼は痛がる僕を他所に、笑ってまた瓶に口つけた。
この日はキバナさんと飲んでいた。顔をささない個室で、気兼ねなく話をする。話題は僕のこと。先日のこと。キバナさんにはよく協力してもらっていたので、彼女との話を聞いてもらっていた。
ロトムが僕を呼ぶ。何かと思ってみれば、ネットニュースだ。彼女とのことか、と焦ったけれど、そうではないらしい。彼女のニュースだ。
「お、なんだなんだ、何か発見したのか?」
彼女の研究発表に関することだった。どうやら最近の研究経過を発表しているようだ。
彼女は研究者だ。博士号を持っていて、日々研究に明け暮れているという。多忙な中なんとかもぎ取った一夜だった、あの日は。キバナさんにも協力してもらって、怪しまれないよう何とか彼女の周りから攻めて、近づいて、口説いて口説いて、やっと手に入れたあの夜だった。それが、するりと。
「…僕は愚かですね…」
ふと気付いてしまった、彼女の徹底した対策、僕に対する気遣い、そしてそれに甘えて、自分の保身を考えてしまう僕。
彼女のニュースと聞いて、僕らのことかと焦ってしまった自分がいた。ファンクラブもある自分の、ジムリーダーとしての地位を崩したくないと言う、恥ずかしい保身。それは、するりと抜けられて当然だろう。
「…呆れられましたかね」
はぁ、と重いため息を吐く。あれから一度も連絡を取っていない。連絡をして、返事が来ないとなると辛い。そう思って送れなかった。
「まぁ、このままならなぁ」
隣でキバナさんがぽそりと呟いた。それがズシリと体にのしかかる。そう、呆れられる。こんな男、呆れられるだろう。
「このままなら、だぞ」
僕に気付かせるように強調するキバナさんが、また僕の背中を叩く。反動で背筋が伸びて、そして気付かされた。そう、このままなら、だ。
「ロトム!」
僕のロトムがすぐに反応して、手元に降りてきた。すぐにメッセージを開いて、文章を送る。推敲もする余裕なんてない。ここは、もう立ち止まる暇なんてない。
ロトムがメッセージを送ったと告げた。少し息を止めて、大きく吐き出す。
「おう!よくやった!」
僕が息を吐いたタイミングで、またもキバナさんが背中を叩くものだから、不意打ちだったので咽せてしまった。咳き込む僕に申し訳なさそうに謝る隣のキバナさん。
「で、なんて送ったんだ?」
そうキバナさんに言われて、ふと冷静になった。もう一度ロトムを呼んで、先ほどのメッセージを開いてもらう。
“こんばんはは、研究おつきれさまです。僕は本気です。”
「………」
「………」
僕も、流石のキバナさんも絶句してしまった。誤字、脈絡のない告白。推敲はすべきだった。余計に気分が落ちる。
「………キバナさん」
「…あぁ…、呑め!」
僕の酒瓶を、僕に寄せて置くキバナさん。これはもうどうにも出来ないとふんだのだろう。それはそうだろう。僕だって絶望しかない。何が本気だ。何の説得力もないじゃないか。今頃連絡をしてきて、何が本気なのか。
なんとか彼女のロトムに取り入ってメッセージを消せないだろうか。頭が痛くなってきた。
「メッセージが届いたロト!」
キバナさんと僕は瓶に口つけたまま固まってしまった。メッセージ?僕に?キバナさんに?誰から?…彼女から?
慌ててロトムを掴んだ。ロトムが驚いたが、申し訳ないが今は余裕がない。メッセージ?彼女から?僕に?なんて?
“ダメ。今夜、やり直し”
ガタッと椅子から慌てて立ち上がった。膝に当たってテーブルが揺れたけれど、キバナさんがおさえてくれたので被害はなかった。どした?とキバナさんが僕を見上げるが、僕はそれに返事する余裕はない。
「僕、帰ります!」
「えっ」
「これ、足りなかったらすみません!」
「いや、いいけど説明してくれよ」
「今度!」
慌ててお金を置いて、個室を出る。店員も驚くが、後ろでキバナさんが笑ってエールを送ってくれているのは聞こえた。
慌てて店を出る。なりふり構っている余裕もない。早く、はやく家に帰らなければ。
きっと彼女が、隠れて待ってくれている。

ロー

以前のキャラ同じ。
映画は初日の初回に行きました。




「なんだ、起きたのか」
頭上から声がして、ゆっくり視線をずらした。ぼんやりした視界は、まだ視界の中のものを形作ってはいないが、覚えのある幾つかが、記憶から答えを導く。
「トラ男だぁ…」
「………」
どうやらトラ男の足の間に挟まれて寝ていたらしい。私が名を呼ぶと不機嫌そうな空気を感じ取る。トラ男は、このあだ名が不服らしい。
目を覚まして少し、目を瞬かせてみて、視界はやっとクリアになったがまだ意識がぼんやりしている。
確か、宴をしていた筈だ。勝負に勝って、島の人も巻き込んで宴をしていた筈だ。しかしここにルフィ達も誰もいない。島の中心で宴をしていた筈なのに、ここは静かな海辺だ。何より、大切に抱えていた筈の一升瓶がない。
「………」
「お前は飲み過ぎだ」
自身の両手を交互に見ていた私に、呆れた溜息が上からこぼれる。トラ男が私にグラスを向けてくれたので、飲めるように起き上がった。身体全体が重い。グラスを受け取って口をつけるが何の味もしなかった。
「…これ…みず」
「飲み過ぎだっつったろ」
溢してんじゃねえか、と硬い指の腹が乱暴に私の口のそばをなぞった。
何故私の一升瓶を隠すのか、とトラ男の胸に頭突きをする。トラ男は唸り、お前、と私を睨んだ。どうやらトラ男の怪我した部分に頭突きをしてしまったらしい。それ以上何も言われなかったが、私からグラスを奪ったトラ男が一口水を飲んだ。
「わたしの」
「元々俺のだ」
「いっしょうびん」
「そっちかよ」
あっちの馬鹿騒ぎで誰かが飲んじまってんだろ、とぶっきらぼうな返答。わたしのおさけ…と悲観する私を、トラ男は鼻で笑った。
ここに言葉は少ない。風の音は穏やかで、波の音は心地良い。あっちの、と言葉で遠くを指したトラ男の言う通り、遠くで宴の馬鹿騒ぎは聞こえる。それらとトラ男の心臓の音も合わさって、更には酔いもあって、瞼が重い。
「トラ男、あっち、いいの?」
「酔っ払いどもが絡んでくるのが面倒だからな」
「わたし、ここに…いいの?」
「………」
私がここまで歩いた記憶はない。今は立つ気力もないし、一人で歩けるとは思わない。
「ローちゃんは、…いじっぱりなあまえんぼですねぇ」
ふふ、とトラ男の腕の中で笑った。すぐそばのトラ男の表情は見えない。グラスにもう一度口つけたトラ男は、喉を一度動かして、ただの酔い覚ましだ、とぼやいた。


月明かりふんわり落ちてくる夜は
(名前くらい、ちゃんと呼べ)

nmss/四万十勇次

千年に一度の奇跡の美少女目当てに見てましたが最後まで見てるうちに彼がとても格好いいのぅ…となりました。彼等のおバカなところが好きでした。久々に書き切れました、勢いです。



「ユージ、どうした?」
目を覆うサングラスをズラして、顎を引く。黒のスーツに身を包んだ男は、目の前の男にユージ、と呼びかけた。
目線は少し上。似たスーツに身を包み、サングラスのまま、その中の瞳はぼんやりとして、遠くを見ている。
車のボンネットに腰掛ける男の声掛けにユージがピクリと反応を示し、視線を遠くから傍に向けた。タカ、と呼ぶ。
「心ここに在らず、だな。どうした?始末書のことでも考えてたのか?」
タカと呼ばれた男はサングラスを元に戻し、反対の手にあった缶コーヒーに口をつけた。これが彼の小粋なジャブであるのは、共に歩んできた長さを思えば容易に分かる。彼等は2人して毎年山のような始末書を書く。今更始末書について憂うことなどないのだ。
「…流石相棒だな、何でもお見通しってか?」
タカが軽く投げたものをユージがパシリと受け取る。片手に缶コーヒー、片手はポケット。
「俺を誰だと思ってんだ、お前の相棒だぞ?」
缶コーヒーを持つ手の方の人差し指をユージに向ける。そのまままた缶コーヒーに口をつけ、喉仏がごくりと動いた。
「…そうだよな、フフ、流石だ」
その笑い方に力はない。タカから受け取った缶コーヒーを口も開けずに両の掌で玩んでいる。ボンネットに腰掛けるタカの傍で、車のドアに凭れかかるユージ。反応が鈍いユージを見るタカは口の端を歪め、じぃっとユージを見た。様子が変なのは分かる。心ここに在らずなのも分かる。
「なんだよ、相棒の俺にも言えないのか?」
「…そんなことはないさ」
玩んでいた缶コーヒーが静かになる。ユージの目はまたじぃっと遠くを見るように地面に落ちた。少しの沈黙が2人の間に流れ、ユージはゆっくり口を開く。
「…ふとした時に、思い出す奴がいてな」
視線は地面に落ちたままだ。タカも視線を追って地面を眺めていたが、戻るようにユージの目に向く。
彼等は刑事だ。始末書を書いた数だけ関わってきた事件がある。湿った風が頬を掠めるだけでも、甦る記憶は少なくない。
そうだな、あの犯人を2人で捕まえた時も、こんな湿った風が吹く季節だった。張り込み、尾行、格闘、発砲、逮捕、始末書。
古い記憶をまるで昨日のことのように思い出せるタカは、空を見上げて数回頷いた。
「懐かしいな」
「あぁ、随分前に会ったかのようだ」
「なかなか尻尾を出さねェもんだから、ヤキモキしたぜ」
「ハハッ、悪い、俺の中でやっと踏ん切りがついたんだ」
「奴から受けた擦り傷でも痛むか?」
「…そうだな、心臓を撃たれたからな」
「いやそれ死んでないか?」
な〜んか話が噛み合わない、とタカが気付く。ユージもきょとんとした顔だ。タカは言葉を続ける。
「誰のこと言ってんだ?3年前のナイフ持ちの連続下着泥棒のことじゃねぇのか?」
「一昨日に会った花屋のことだが?」
話が噛み合わない筈だ。お互い思い浮かべる人物が違うとそうなる。
「花屋?」
会ったか?と記憶を巡らせる。目を瞑って少し、あぁ、とガッテンがいった。捜査の一環で立ち寄った花屋だ。聴き込みで店主とスタッフと話をした。
「店主のオッサン、銃なんか持ってたか?」
「…いや、そうじゃなく…」
ユージの歯切れが悪い。一般人が銃なんぞ持っていたら銃刀法違反ですぐ逮捕だ。ユージがそれを隠すか?
「もう1人の…」
「あの女か」
タカの言葉にユージがピクリと肩を揺らした。それにタカは気付かない。タカは思い出していた。客に頼まれた花束を作っていた女だ。俺たちの求める情報を知っているとしたら娘だと、店主が繋いでくれたのだ。作り終えた花束を客に笑顔で渡していた。細い肩にふわりとした髪がかかった、柔らかい雰囲気の女だった。父に呼ばれたから応じてくれたが、少し不安げな眉の下がり方だった。一言二言ジョークを飛ばせば、少し申し訳なさそうに笑った。いつも通りの聞き込みだったように思う。銃など、両手で持つことも出来ないようなか弱い女だった。
「その、彼女に…射抜かれちまったよ」
歯切れが悪い言い方だった。何を、とこちらが聞く前にユージが心臓を、と続ける。
「どうやって今生きてんだ?」
「あぁ…、彼女を思うと心臓が逸るよ」
「撃たれたのにか?」
「そこまできて噛み合わないものですか?」
彼等のいる車の後ろから、1人の女性が現れた。彼等と同じくスーツを着ているが、眉の上で横にまっすぐ切られた前髪と後ろで一つに纏められた髪から、真面目さが伺える。ハァ、と隠しもしない溜息と共に彼等の前まで来た。
「会いに行けばいいじゃないですか」
「そうだな、一刻も早く行ったほうがいい」
「…2人が背中を押してくれるのは有難いが…なんて理由で会いに行けば…」
「銃刀法でいけるだろ」
「タカさん黙ってください」
「え」
「お客として行けばいいでしょう」
「…ど、どんな花を買えば…」
「見繕ってもらったらいいじゃないですか」
「!…カオル、頼む!一緒に来てくれないか…!」
「えぇ…」
カオルと呼ばれた女性は、ユージの頼みに素直に顔を顰める。出来れば深く関わりたくはない、と隠しもしない顔のまま声を洩らす。
タカは未だ理解が追いつかないのだろう、ぼんやりと2人のやりとりを眺めている。
「…じゃぁ、ついて行ってあげてもいいですけど」
少しの思案の後、また溜息をついたのはカオルだ。よそに向けていた視線を戻して、今追ってる、と言葉を続けた。
「ヤマ、済ませた後ならいいですよ」
カオルの言葉にユージの表情が明るくなる。ヨシッと頬を叩いて気を正し、車に乗り込む。
「タカ!カオル!行くぞ!」
意気揚々と窓から顔を出すユージに、タカは少し戸惑いながらも応じる。
車に乗り込む前にタカはカオルに寄った。
「何があった?」
そんなタカに、カオルは本日何度目かの溜息をこぼした。まだ分かりませんか、とタカに言う。
「恋ですよ」
タカの反応を待たずにカオルが車に乗り込んだ。
タカは1人、車のドアも開けず、ぼんやりと「コイ」の文字を頭の上で変換していた。


恋だよこれは
(故意、鯉、請い…)
(タカさん置いていきますよ)
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