星のごとく

貴賤をつけるつもりはないけれど

上質、あるいは重厚な読書は心を落ち着ける。
水底の砂を静かにかき分け、湧き上がる水の感触を確かめる感覚。

本来の自分を取り戻すような。


30代前半までは
奮闘し、鼓舞してくれる物語に活力をもらっていた。
爽快な気持ちになることで満たされていた。

あるいは

いわゆる「しっとり」下手すれば「じっとり」した、心情の機微を精緻にかきとった恋愛(耽美を含む)もの。とか。


今は、読み進めるのが気鬱になるほどの、心が静かに重苦しく、重なり、すれ違い続けるものが、自分に合っているようだ。
自分と向き合っているのかもしれない。現実世界でも。



きっと書籍と自分は合わせ鏡の関係なのだと思う。
本、物語、そこに紡がれる言葉を通して、自分を見つめ直している。気がする。



ヒリヒリするものなら学生時代に読んでいた。好きだったのかもしれない。
それはおそらく現在進行形で同じ心境や境遇だったから。

今読んでいるのは違う。

何も重ならない、はずだけれど、心の部分だけが僕の核と同じすぎて、またそれだけでなく、そこは僕が目を背け続け茶を濁し続けている部分でもあるから、本当に痛くて。

登場人物たちの懸念は、僕の懸念や、課題でもあって。
チラつく展開は、僕の現実や想定される未来を幾度となくかすっていく。

人物たちは僕より少し若く、だからこそ、生々しく感じてしまう。自分が、物語の一つのifの末路の気分で。

都度胸は軋み、不安が頭をもたげ、苦しくなる。
しかしその一方で、わずかな光を必死に感知しようとする物語のそれのように、僕の心も暗闇の中で光があるだろう方向を信じて向く。

光のある方を分かって向く、光にたどり着けるまでがむしゃらに探し続けるのが、これまでだったとすれば、
今は、光を見出す、ような感じだろうか。


昔の(若い)僕が聞いたら、それは負けだと思うかも知れない。間違い(光ではない)と思うかも知れない。そして実際そうかも知れない。けれど、それもまた光だと僕は思いたい。