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トロイメライ溶かせば

どうでもいい決断こそ、人生を揺らがすことになりがちだ。


恋人のことはそれなりに好きだけど、性欲は一生満たされないし、結婚は考えられないし、何より色々面倒すぎるが、今は寄りかかって何も言わずにデートしてほしい。甘やかしてほしい。

つながらない

もうなんだか疲れてしまったな。

ばかみたいに眠いのに寝れないのも、期待しないフリしてどこかで期待しているのも、終わらない仕事に延々と喘いでいるのも、変わらない関係を望みながら本当は全部わかっていたのを後悔していることも。
気づくことは真っ逆さまに落ちることなのだ。落ちて落ちて、落ちたら底はない。答えなんて求めるだけ損なのに、延々と他人の不幸を願ってしまう。


一番にできないくせに、一番にしてほしい。二番はもう嫌だ。なのに、ほしいと駄々をこねるのがみっともなくて、じっと抱き枕にすがっている。


ただただ仕事が趣味になる。ひとりでいたくないから、空っぽにならないようすがるだけ。そのせいで、尚更一人で生きていけるようになることも、それが呪いであることも、全部わかっているのにね。



ここ数ヶ月、月末の楽しみだったお酒の席もなくなるから、本当にひとは孤独なのだと宇宙に説きながら、ウイスキーを飲み干した。

すきだなんてまぼろし

がらでもないことを最初に言います。世界一わたしをしあわせにしてください。

ブログを開くときなんて、いつだって情緒が安定してないんだけどさ、久々にさみしさでしにそうって気持ちでいっぱいで、ねむいのにねれない。
もやもやすることがありすぎて、ついでに周りがどんどん結婚していくのに、わたしは恋人どころか仕事しか増えていかないから本当に惨めになる。どうしてこうなってしまったんだろう。

好きだった人からの久々の連絡で浮き足立って会えば、案の定恋人ができました報告。好きかもしれない人は相変わらず冷たくて寸前でかわされる。人として好きな人は変に気をもたせてしまったようで外堀を埋められている。好きになれそうな人は掴めなくて何でもないのに泣きそうになる。どうでもいい人は惜しみない愛を与えてくれて、見返りを要求される。
誰でもいい、とは言えないけど、もう少しだけハッピーエンドを望んでもいいのだろうか。だめだろうな。

絶食系乙女の諸事情

大して美味くもない間違えて買った煙草をふかしては、とりとめもない可能性論を考えて泣きそうになる。

先月あたりから、半分学生みたいなことをし始めたものだから、日々が仕事の延長のようで、なんだか詫びしい。
書くことは好きだ。仕事も好きだ。
けど、頑張れば頑張るほど、手の中から何かがぽろぽろこぼれていく気がして、とてつもなく強くなる。
かといって、「頑張らない」って選択肢はないし、頑張っている自分が好きだなんて、小学生みたいな思考回路でがむしゃらに進んでいって、勝手につらくなって泣くのをやめにしたい。

自分で選び取ったものを後悔したくないのだ。
その選択肢が正しい/正しくないではなくて、選んだのだから責任を取れるのは自分だけなのだから。











こうして、ぼんやりと薄暗がりの中で書いていて思うのは、なにがいけなかったんだろうというアホみたいな後悔で、何も間違っていないのにどうにもこうにもいかない現状がひどく痛いということ。



気付いてしまったら、あとは落ちていくだけだ。
どうせ落ちるなら、恋なんかじゃなくてチョコレートよりも甘くて仄暗いドーナツの穴みたいな奈落に一緒にいこうよ。
大抵の相性っていうのは、手をつないでキスをすれば事足りる。
はじめから舌を入れたがるやつはみっともない。一番近い距離でかすめた手を掴んでくれない人はやさしすぎてだめ。
周りから幾度「やめなさい」と怒られても、こればかりは理屈ではないからはいそうですね、でやめられない。
本当は終わりにするのが正しいこと、本人が一番わかってるよ。
その上で傷ついて、傷ついた分、あなたは私の中で血となり肉となりことばとなり生きていくのだろう。
そういう形の愛しか、私たちにはもう残されていないのだから。


















信憑性のない占いを見ては、テトリスを積み上げてはじまってすらないゲームを覗き込んでいる。

欠乏しているのは、何故なのだろう。
今日も終わらないシーソーゲームの上で、長い棒を待ちながらテトリスをしている。、

おちる

夏の熱に浮かされるように、ひたすらに何かから逃げては追われてるかのごとく、終わりのないテトリスをしている状態の毎日だ。

欲しかったものほど手に入ると恐ろしくなるのは、「誰のこともすきになれないよ」と言わせてしまったことへの贖罪なのか。それともそれすらが呪いなのか、検討がつかないままだ。
再三、終わりがないことを祈っては悲しんでいるけど、何が愛で何が恋なのかなんてとっくに忘れてしまったよ。
愛欲に溺れている時だけは、地球の自転からも世の中の正しいとされるルールからも逃れられるから本当にどうしようもないよ。






一番にはなれないから一番愛せる私と、一番になれないとわかっていながらも一番なりたいと願う人の正しさは、どっちの方が罪深くて浅ましい人間なのだろうか。

ごめんね、はいくらでも吐けるけど、どんなに経ってもすきだよ、だけは言うことができないし聞くこともできないことのみが私の聖書には刻まれている。
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