トラブル
ショートストーリー

朝から、トラブル続きで、自分の仕事が全く進まず、憂鬱気分で、残業をしていた時だった。

「聞いてくださいよう」

そう言って来たのは、後輩だった。時刻は、6時をまわった頃。そいつは、丁度、俺の真後ろの席で、書類を片手にパソコンを叩いていた。

「ん?」

俺は、ガチャガチャと忙しなく、パソコンを叩く。明日のプレゼン資料を作っているところだった。

「昨日、淫夢見ちゃったんですよねー」
「っっ?!?!」

俺は、その場で盛大にずっこけた。後ろでそいつは、爆笑である。

「からかってんのか?!」
「や、真面目な話ですよーう」

そこで、彼女は真面目なトーンになる。俺も釣られて、真面目になりそうになるが、グッと堪えた。淫夢だぞ。

「彼氏と今、半同棲してるんですけど、彼氏が全くもって、あたしに興味なくて、まあ、ぶっちゃけ、セックスレス?」

俺はやはり、大コケした。なんで、今、よりによって、この状況で、俺に言う。

俺はお前のこと好きなんだぞ、と言ってやりたくなったが、我慢した。

「あー、うん、それで?」
「それでですねぇ、先輩は、職場で良くしてくれるし、頼りになるし、ご飯連れてってくれるし、真面目な話も聞いてくれるし、巫山戯てものってくれるし、先輩のこと、いーなぁ、って思っちゃったんですよねー」
「お、おう」

珍しく、本音で喋るこいつに、俺は、タジタジになってしまった。こいつはもっと、巫山戯てて、つかみ所がなくて、ヘラっとしてる奴じゃないのか?

いや、そうじゃない。本当はいろんな事を真面目に考えてる奴だ。俺は、そう思っている。

「先輩のこと、いーなぁ、って思っちゃってから、しばらーく、セックスしてなかったら、淫夢ですよ。夢ん中でヤった相手、誰だとおもいますー?」

流れから行くと、俺?なんて、思ったけど、そんなこと、言えるわけなかった。落ち着け、俺。というか、俺の下半身…。

切ないオスの性。ため息交じりに、言葉の先を促すことで、その流れを切った。言いたくないことは、言わせるに限る。

「わかるわけ、ねぇだろ」
「流れで察してくださいよー。んなもん、先輩だったに決まってるじゃないですか」

ケロっとしたトーンで爆弾発言をするそいつがムカついて、俺は、振り向いた。

いつもなら、椅子の背もたれに踏ん反り返っているはずのそいつは、机に身体を預け、ぐったりとしていた。

「あのなあ!」

言いながら、そいつの肩を掴もうと、椅子から立ち上がった。一歩踏み出すと、そいつは、何時になく、弱々しい声で言った。

「動くな。今、顔見られたら、やばい。戻れ、とゆーか、マジで元の位置に戻ってください、お願いします」

泣いてる?

俺は、コーヒー買ってくる、と言ってその場から逃げた。缶コーヒーと、あいつ用に、ジュースを買う。

戻ると、平然として、仕事をしていた。

「ほれ、とりあえず飲め」
「あ、グレープフルーツジュース!先輩、さっすがぁ」

いただきまーす。語尾にハートやら、音符やらがついて居そうなテンションでそいつは言う。

もう、話は終わり、とでも言ったところだろう。俺も、詮索はしない。聞いて欲しい事があれば言ってくるが、無ければ言わないのが、こいつだった。半年も一緒に仕事をすれば、そういうのも、わかるもんだ。

***

その後、小一時間、黙って作業したおかげで、お互いの残業は、終わった。

俺が盛大に溜息を吐くと、終わったんすかー?と、のんびりした声が後ろから飛んで来た。

「おう。間宮は?」
「あたしも終わりましたー」
「おう、んなら、飯でも行くか?」

何時ものノリで言ってしまってから、後悔。ああ、俺のバカ。さっき、あんなこと言ってたんだぞ。まさに、って感じがするじゃねぇか!

…じゃなくて!!

こいつの気持ちの整理が付かないのに、ダメだろう。ああでも無いこうでも無い、と悩んでいると、案外、あっけらかんとした返事が返って来た。

「先輩、奢ってくれるんですか?!」
「ったく、しゃーねぇな」

俺も何時ものノリで返すことにする。こればっかりは、あいつ次第だ。

「やった!今日、彼氏来ないから、暇なんですよー」
「おー、そうか。なんにする?」
「中華!」
「おし、決まったらさっさと行くぞ」
「はーい」

ルンルン、とでもいうような動作のそいつを目の端に捉え、俺は顔が綻びそうになった。

***

「いっただきまーーす」

満面の笑みで、そいつは、回鍋肉に箸を伸ばす。

「うまい?」

頬張りながら、頷く姿に、少し見惚れてから、俺も箸をつける。確かに美味かった。

「でねー、先輩?」
「ん?」

こいつの話はいつも、唐突に始まる。

「同僚にもね、尾崎さんと付き合っちゃえばイイじゃん、なんてね、言われちゃうんですよ」
「っ?!」

俺は噎せて、ビールを煽った。それを見て、向かいの奴は、ゲラゲラ笑っている。少し酔いが回ったのか、赤い顔をしていた。

「でねー、彼氏、今日来ないから、とか言ったけど、しばらく来ないで、って言っちゃったんすよねー」
「え?」
「顔見たくないから来るな、って、ゆーちゃいましたん」

あはは、と苦笑いをした。俺は、そいつを真面目に見つめた。

「あのなぁ。お前、今この状況で、そういう事言ったら、どうなるか、わかってんのか?」
「お持ち帰ってくれるんすか?送り狼とか?ないない。だって、先輩、あたしのこと、なんとも、思ってないですもん」

真剣な目で、けれど、淋しそうに言ったそいつに、俺は、くらりとした。

「じゃあ、言うけど、お前さ、俺の下の名前言える?」

これで、言えたら俺は告白する。そう、心の中で決めた。言えなかったら?何事もなく、解散だ。何時ものように。

「あっはは、難易度低すぎますよ、尾崎裕太先輩」

俺は、こいつに初めて下の名前を呼ばれて、ドキリとした。

「じゃあさ、先輩は、あたしのフルネーム言えるんすか?」
「間宮弥生」
「うわ、正解」

顔を嫌そうに歪めながら、けど、目は笑っていた。自分で、かけしちゃったしな、なんて思いながら、俺は、そいつを睨め付けた。

「おい、間宮」
「ぇ、あう、ぁ、はい」

急にかしこまったその姿に、笑いそうになる。

「そんな男、別れてしまえ。俺は、お前が好きだ。そんな男より、俺と付き合えよ」

沈黙。俺は、羞恥から顔が火照りそうになるのを抑えるために、目の前の料理に手をつけた。

めちゃくちゃ、恥ずかしいこと言った。ヤバイ。もう嫌だ、帰りたい。せめて、もう少し、帰る間際に、言えば良かった。

後悔、先に立たず。

「お手洗いいってきます」

顔を隠しながら、脱兎のごとく、席を離れたあいつの背中を見ながら、あーあ、なんて思った。

俺は、黙々と、食事をする。五分か、十分か、もっとか。しばらく経って、戻ってきたそいつは、ニヤリと笑っていた。

「先輩、今さっき、なんて言いましたっけ?」
「…は?」
「だから!もう一回言って!」
「そんな男、別れてしまえ?」
「うん」

満面の笑みという奴で、そいつは、ビールを煽った。空になったジョッキ越しに、ニヤリと、笑う。少し、怖い。

「別れて来た」
「今?!」
「うん、電話で」
「はやっ!!」
「うん、だから、さっきの続き、もう一回言ってください」

今度は、優しそうに、笑った。可愛いなあ、と思ってしまう。

「間宮、俺と付き合わないか」

言ってから、俺も、ビールジョッキを空けた。

「あたしでよければ、喜んで」

言ったそいつは、ニッコリ笑った。

その後は何時ものように、仕事の話をしたり、上司の愚痴を言ったり、聞いたり、社内の噂を交換したり、いつも通りの飯だった。

店を出た所で間宮に向き合う。

「間宮、送ってく」
「いーですよー。明日も早いんだし、此処で解散した方が、先輩、早く帰れるじゃないですか」
「彼女のこと、店先でほっぽり出せる訳ねぇだろ。送らせろ」
「わー、急に、彼氏面!」

それが、あいつの照れ隠しだと分かったから、俺は、はいはい、と流した。

「こっち、です」

少し俯きながら、間宮は、俺のスーツの裾を引っ張った。おう、と返しながら、その手を掴み、手をつなぐ。学生みたいだなあ、なんて思ったりした。

「せ、せんぱ」

慌てて、手を解こうとする間宮に、俺は、意地悪をしかけた。

「二人の時は、先輩、じゃなくて、名前で呼んで欲しいんだけどな」
「えー、と。裕太先輩?」

苗字で来ると思っていたところに、名前で来て、俺は、思わずニヤけた。

「はい。なんですか、弥生さん」
「あの、えっと、手を繋ぐのは、非常に、恥ずかしい、のです」

滅多に敬語なんて使わない間宮が、敬語でしかも片言になっていて、面白かった。面白がっていると、間宮は、らしさを取り戻したらしく、俺を見上げて来た。嫌、睨み付けてきた。

「裕太先輩、あたしのこと、からかって遊んでるでしょ!」
「あ、ばれた?」
「半年、あんたと同じチームで仕事してきたんですよー!それくらい、わかりますっ!」

間宮が、巫山戯半分に怒る姿が、可愛くてしょうがなくて、道の真ん中で、間宮を抱き締めた。

「ったく、可愛いなぁ」
「え、わっ、ちょっ!!!」
「新卒でスーツも似合わないお前のこと、最初から、気になってた」

抱き締めたまま、顔を間宮の肩に顔を押し付けた。今の顔は、ちょっと、見られたく無い。

「先輩、酔ってますね」
「うん。でも、マジだから」
「わかったから、ね、帰りましょー?」

間宮は、俺の頭をポンポンと撫で、ね?と、言う。俺は、その姿勢のまま、言った。

「弥生さん、キスしていい?」
「聞くな」
「言うと思った」

少し屈んだ姿勢のまま、間宮の頬に手を添える。今まで日焼けしたことなんか、無いんじゃないか、って位に、いつも白い頬は、ほんのり、赤くなっていた。

「好きだ」

言ってからキスをした。触れるだけのキス。

その後、何事もなかったかのように、でも、手だけは繋いで、歩いて間宮の部屋までの道を歩いた。

道すがら、間宮は、ポツポツと話をしていた。

「元彼ねー、好きって言わなくなって、キスもしてこなくて、それなのにさー、好き?って聞いたら、うん、って答えたんですよー。ズルいですよねー」

間宮は、そこで一呼吸おいた。

「あたしが、離れて行かない、って、何処か確信してたんでしょうねー。そんな確信、あり得ないのに」
「そう、だな」
「だからねー、先輩。先輩は、あたしのこと、ちゃんと、好きでいてくださいねー」

わかってるよ、と言った所で、丁度、間宮のマンションに着いた。

「お茶か、お水か飲んできます?」

間宮は、律儀に言う。俺は、ニヤッと笑ってやった。

「誘ってんのか?」
「…っ違う!」
「わかってるよ。気持ちは嬉しいけど、我慢出来る気がしないし、部屋上がるのは、やめとくわ」
「意外と紳士ですね」

間宮は、可笑しそうに笑って、おやすみなさい、ありがとう、と言うと、マンションに入って行った。自動ドアの手前で間宮は、クルリと振り返る。

「あ、あたしの部屋、702です」
「覚えとく」
「はい。じゃあ」
「おう、おやすみ」

こうして、俺の長い一日が終わった。



end...?
話題:SS


13/08/15  
読了  


-エムブロ-