甲太郎、と音を持って降ったそれは普段よりも余裕の色を欠いて響いた。こういうことをしているときでしかあまり聞くことはない種類の声音だ。涙やら涎やらあらゆる液体のせいでめちゃくちゃになっているのを隠すため枕に埋めていた顔をずらし、ちらりと声のほうを見やる。その男は相眸をじっと俺に向けていた。視線同士がかち合うと、それは少しだけ目尻をほどき空気を和らげる。
「やっとこっち見た」
「……だから何だよ」
「寂しいんだよ。ずっと目が合わないの」
顔も見たいし、と言いながら九龍は俺の頬に手を当てる。涙の跡を指で辿り、形を確かめるように輪郭をなぞった。触れられるたびにいちいち肩を震わせてしまう自分に少し腹が立つ。
「こんなめちゃくちゃな顔が見たいのか、お前」
「見たくないわけない」
「ずいぶん悪趣味だな」
わかってないな、と言いながら男は口を三日月に歪めた。だが目元にあったわずかな和らぎはゆっくりと消失する。静寂を湛えながら、しかしいやに騒がしく鈍い光を持って九龍は俺を見下ろしている。腹の奥にある自分でも把握のできない部分がざわりと疼く感覚を覚えた。妙にむず痒い指先をシーツに擦り付ける。
「こういうことしてるときの、お前の目が好きだよ」
囁くように九龍がそう呟く。どういう目だと訊こうとしたが、聞いてもあまり得がなさそうだと思い口を噤んだ。骨ばった指が俺の顔から離れ首筋を滑る。鎖骨をなぞってから胸をくだり、そっと突起に触れてきた。快楽を得るのに慣らされた体は意思に背いて反応を示す。はあ、と息を吐けば眼前の二つの光が質量のある熱を孕み、それはじりじりと火を起こすとやがて炎に変わった。もう一度突起を擦るように撫でられ、思わず小さく声を上げると炎の温度はさらに高まっていく。
さっきの九龍の言葉と真反対のことを、こういうことをしているときにいつも考えている。今目の前にあるこの瞳、この籠もった熱を真正面から浴びるのは俺は正直苦手だった。苦手というよりかは、恐怖か何かに近いのかもしれない。これに見つめられているのは燃やされているのと同義だ。網膜に燃え移ったそれは横暴なくらいの早さで火を広がらせ、頭の頂から足の指の先まであっという間に包んでしまう。身動きも取れずにただそれを享受するしかなく、ろくに息もできなくなるその感覚にどうしても慣れることは出来なかった。うねり、立ち上るそれを消火する術は知らない。どころかどうやら薪をくべているばかりのようだ。いつかこの炎は俺のすべてを燃やし尽くし、鍵をかけて頑丈に閉じているはずのその部分にまで手を?
?ばしてくるのではないかと、そう考えるだけで指の先が震えてくる。
いたたまれなくなり、視線を炎から引き剥がし再び枕に顔を埋める。九龍が「あ」と声をあげた。残念だ、という響きを隠そうともしない。
「もっと見たかった」
「見せもんじゃないんだよ俺の顔は」
ええ、と不満気に転がる呟きには無視を決め込む。どうやら諦めたらしい男は小さく悲嘆の呻きを漏らしながら俺の髪を何度か撫でた。なあお前、次するときはゴーグルでもつけて来いよ。それならおそらくまだマシだ。……言ってもきっと困惑されるだけだろう。