顔を寄せても抵抗の言葉はひとつもなかった。くせのある毛をかきわけて額にキスを落とし、次に唇へと自分のそれを押し当てる。閉じられたそこをノック代わりに舌でなぞると、城の主はかすかな吐息を漏らしながらあっけなく侵入を許した。甲太郎の舌にちろりと触れたあと、すぐさまそれを絡め取る。
「ふ、う」
普段とは違う甘い声色が鼓膜を侵す。かすれた響きはこちらにとって完全なる毒となって体に作用した。思考の鮮明度が落ちる。この男の声というのは本当に、どうして相手の感情をここまで揺さぶるのか。
唇を離すと二人の間につうと糸が引いた。甲太郎の瞳は確かに熱を帯びていて、その輪郭がわずかにぼやけている。誰にも見せたくないものだ、この男のこんな瞳は。思いながら目元に指で触れると、少し煩わしそうにその眉がぴくりと動いた。
「なんだ」
「ん?」
「目玉でも引っこ抜くつもりか」
咎めるようなからかうような口調で目の前の男はそう紡ぐ。普段よりわずかに回数の多いまばたきを見つめながら、なるほど悪くないな、と呟いた。
「人間の瞳のきらめきって、時にどんな宝にも勝るように思うな。手に入れてみたくなる」
「……ハンターとシリアルキラーの狭間に立たせちまったか?」
「はは。半分冗談だよ」
「半分なのかよ」
つい、と目尻をなぞったあとにまた顔を近づけて、今度は触れるだけのキスをした。目前の宝はゆっくりとその帳を下ろし、睫毛をかすかに揺らす。従順なようすを前に胸の奥で優越感がぱちりと弾ける。あたたかさにわずかな名残惜しさを感じながらも唇を離し、その目が開くさまをじっと観察した。甲太郎のけだる気な眼差しが至近距離から俺を見つめ、くぐもった熱がこっちの網膜を炙るように焼く。薄く開いた赤は静かに言葉を紡いだ。
「俺はお前の瞳を見てると背中が痒くなる」
「ああ、言ってたな」
「それと、妙な感情が湧いてくる」
「……どんな?」
訊いてみるが、甲太郎は答えを口にはしなかった。すいと瞳を逸らしてただ押し黙る。だが、その沈黙はなかなかに雄弁だった。言葉よりも明確な答えを提示したのと同等だ。
投げ出された手の上に自分のそれを重ね、ゆっくりと指の隙間を埋める。くすぐったいのか甲太郎はわずかに吐息を零した。
「たぶんそれは俺と同じ気持ちだと思う」
「同じ?」
「俺が欲しいんだろう、お前」
言って、手の甲にゆるく爪を立ててやった。甲太郎の肩がびくりと跳ね、声にならない声が口から洩れ出る。大きく揺らいだ瞳の中には星が散った、ように見えた。ああ、欲しいな。衝動に近い思考が回る。男の口は反論の言葉を紡ごうとしたが、なんとなく遮りたくなってまたそこを塞いだ。