師匠の唇に赤い紅が引かれる。ほんとにこれで潜入するんだなあ、と軽く絶望しながらスカートの裾をおさえている僕は待機中の暇を持て余しながらその光景を見つめていた。鏡の中に映る、決して完璧とは言えないメイクをつくりあげる師匠。自分の唇同士を擦り合わせたり離したりしながら師匠のそこは違和感だらけの赤色に染まっていった。へんだなあと思うのに、僕はなぜだかそこから目が離せない。師匠の赤い唇。やわらかそうなようで、近づいたらぱくりと食べられてしまいそうな。いつもとは違う、不思議な感じがする。
「熱心に見てくるな、モブ」
鏡越しに師匠が僕を見ながらそう呟いた。気づかれていた恥ずかしさから慌てて顔を逸らす。……恥ずかしいって、何がだろう。スカートをおさえる自分の手を見つめる。
「お前にもつけてやろうか」
「……え?」
思わず顔を上げると師匠は口紅を僕に見せつけながらにやりと笑って言った。
「遠慮するな。何事も経験だ」
なんだかおかしな話になってしまった。べつにつけたいとはまったく思ってないんだけど。いいです、と返す僕になんてお構いなしに師匠はこっちに近づいてくる。
「絶対かわいくなるぞ」
そう動く目の前の唇に気を取られている間に、あっけなく体を捕まえられてしまった。
ソファーに座らされて、じっとしているようにと伝えられる。いつものように座ったら「パンツ見えてるぞ」と言われたのでなんとなく足を閉じた。しかし僕にそう言ったわりに同じくスカートを履いているはずの師匠は足を大きく開けてソファーに座っている。パンツ見えますよ、と言おうとしたけど、口を開けることを止められてしまった。
「じっとしてろよ」
口紅をかまえた師匠が僕の唇にそれをゆっくりとつける。そのまま横にすっと引かれて、唇の形を確かめるみたいになぞられた。くすぐったいような、すこし気持ちが悪いような。自分の一部なのに自分のものじゃなくなっていくみたいだ。目の前の師匠の赤色がつやつや光っている。あ、そういえばこの口紅、さっき師匠が使っていたものなんだ。そう気づいたとたん手に汗がにじんだ。触られれば触られるほど僕が師匠の唇をなぞっているような気分になってきて、心臓の近くがかゆくなる。さっき師匠をへんだと思ったけど、どうやらへんなのは僕のほうだったらしい。師匠が僕を見て面白そうに笑っている。唇が、僕に見せつけるみたいに三日月の形にゆがんだ。
「かわいいぞ、モブ」