「はい、実は……できました」
おいおいモブくん、返答が間違ってるぞ。そこは『いませんよ、相変わらず』と答えるところだろうが。近くの自販機で買った缶コーヒーを傾ける手も思わず止まる。『小綺麗になりやがって』なんて、『彼女でもできたか』なんて言わなきゃあよかった。
昼飯を食べに事務所の外へ出たら偶然モブに会ったのが事の始まりだった。半年ぶりに会うモブは前に会ったときよりも少し背が伸びたように思える。もう大学生だというのにまだ伸びるのかお前は、と小突いたら照れくさそうに口角を上げていた。ファッションもよくわからん猿のTシャツを着ていた頃とは比べ物にならないほど洗練されている。まあ、あれと比べたら大概のものはオシャレということになってしまうのだが。
「筋肉も昔と比べたらかなりついたよなあ」
「まだまだですよ。目標は力んだらシャツのボタンが弾け飛ぶぐらいになりたいんですけど……」
「それサイズ合ってねえだけだろ」
久々の軽口も楽しかった。話しながら少し歩いていると自販機があったので、ここは師匠が奢ってやろうと財布を取り出し好きなジュースを選ばせた。モブは、一番安いジュースのボタンを押した。
「ありがとうございます」
その直後にあの会話をした。まだ缶コーヒー開けたばかりだがいったん帰りたい。態勢を立て直したい。だってそういう返答は本当に一ミリも予想していなかった。
「ハハ。面白いもんだな。モブに彼女とは」
「僕もう大学生ですよ。そういうこともありますって」
そうだよな、と言おうとしたが『そう』までで声が引きつってしまい最後まで言えなかった。モブが怪訝そうな顔をこちらに向けてくる。そうだ、大学生なら彼女ぐらい当たり前だ。俺なんか中学の時には彼女いたもんな。揺らぐ視界をどうにか固定し、咳払いをひとつしてからモブに笑う。
「で、相手はどんな子なんだ」

好きだの嫌いだの、俺にはずいぶん遠い話になってしまった。彼女の惚気を嬉々として話したモブはジュースが空になったのを合図に帰っていった。時間としてはそう長くはなかったが、永遠を三度ほど繰り返したような気分だ。腕時計を見ると時刻はまだ昼時。さて何を食うか、と顔を上げる。ああモブを昼飯に誘えばよかった、と思ったがその思考は建前上だけで、実質的には確実に嘘だった。本当は話している最中に何度も考えていたが、わざと口に出さなかったのだ。……このあたりに会ったコンビニをふと探したが見渡す限りどこにもない。調味市も少しずつ色を変えてきている。その点、俺はなにひとつ変わっていない。気を使って安いジュースを買うモブに、彼女との交際の経緯を話すモブに温かい笑顔ひとつ作れなかった?
?俺の時間は29歳でぴたりと止まってしまったのかもしれない。もうきっと確認する術はないのだが。
ぐう、と腹の虫が鳴り意識が現実に戻った。ラーメンでも食うか、と思ったが余計みじめになりそうなのでやめた。