いつものように川の前で座っていると、同じ制服を着た男に声をかけられた。俺と同じクラスだというその男は唐突にLINEを教えてほしいと言い出し、意味がわからず断ると謝罪の言葉を残し足早に去っていった。なんやねんアレ、とため息をつきながら読みかけの本を開く。すると、すぐに瀬戸の足音が聞こえてきた。顔を上げそっちに視線を向けるとすぐさま目が合う。ずんずんとこちらに近づいてきた瀬戸は、何を考えているのかいまいちわからない仏頂面のまま呟いた。
「今の誰」
今の、とはさっき俺が話していた男のことだろう。眼鏡のアーチを中指で押し上げながら『おんなじクラスの奴らしいけど』と返答する。
「なんかLINE交換してほしいとか言われたけど、する意味が微塵もなかったから断った」
「ほーん」
何故かあまり納得していなさそうな表情を浮かべながら瀬戸は定位置に腰掛ける。そして生まれる沈黙。どちらかが話し出すまではいつもこんなものだ。今日はこっちから話すのが少し億劫だったので、開いていた本に目を戻す。
……。
……。
…………瀬戸はなかなか話し始めない。ちらりと横を向くと、いつから見ていたのかこっちを捉えていた視線とかち合ってしまった。驚きとともに目を逸らす──暇も与えず瀬戸がこう切り出す。
「あんなんたまにあるん?」
「え?あんなんて何」
「なんか、知らん男に連絡先聞かれるみたいなん」
「いや、今日が初めてやけど」
「ふーん」
質問の意図がよくわからない。瀬戸はいったい何が聞きたかったのだろう?長い間合っていた視線がふと逸らされて、その目は微妙に曇った空を見上げる。
「LINE交換してほしい理由とか全然言うてなかったん?」
「なんか『内海と仲良くなりたい』とか言うてたけど。仲良くする意味がわかれへんから」
「……仲良くっていうよりな、アレってたぶん」
言葉の続きを待ったが、瀬戸はそのまま口を閉ざした。たぶん、なんやねん。と催促するが何か考え事をしているのかまったく回答を寄越さない。今日は全体的に態度がおかしい。嫌な事でもあったのか、と思いながらゆっくりと流れる川を見つめる瀬戸に倣って自分もそこに目線を移した。煌きに光る川の向こうにアパートや民家が見える。雨を警戒してかどの家庭でも洗濯物は干されていない。
「なんかなあ」
不意に瀬戸がそう呟いた。あー、と唸りながらトゲトゲの後ろのほうをガシガシと掻いている。やっぱり悩みでもあるのか。
「どうしたん」
「いや、ちゃうねん。べつにな。そんなんええんやけど」
「なんかあったん」
「うーん」
両手で顔を覆った瀬戸は、手の隙間から隣の俺を見る。おそるおそるというか、少し躊躇するような眼差しだった。眉を下げ、トーンの落ちた声を控えめにこの場に響かせる。
「女子やったらこんな感じになれへんのやけどなあ」
「……何が?」
「あーあ。なあ内海」
「うん」
「もしお前が男と付き合うってなってもな」
「急になんやその斜め上方向からの前提条件」
「それやったら俺でいいような気ぃせえへん?」
時間が止まった。……ように思えた。常に一方向に進み続けているはずの時間が。瀬戸がこっちから目を逸らしたことでまた時間は動き出したが、体勢を変えるその動きはスローモーションに見える。遠くからカラスのけたたましい鳴き声が聞こえた。何の話をしていたか思い出せない。言葉の意味も未だ掴めていない。どう言葉を発するべきかわからず、ついに完璧に閉口した。
「帰ろかなあ。今日キャベツ刻まなあかんねん」
我ながら思いきり固まっている俺の横で、ため息をついた瀬戸が鞄を持って立ち上がった。うーんと大きく伸びをしたあと、いつもとまったく同じ軽さで『また明日な』と言ってくる。ゆっくりと遠ざかっていく背中に真意を見出そうとしても、見えてくるのは曖昧と疑問のみだった。
「理屈がまったくわかれへんのやけど」
時間差で呟くと近くにいたニダイメが気だるげにニャーと鳴いた。