未プレイ時に書いたもの
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イーノックのサポート役を務めて早…何日だろう、数えるのがめんどくさくてあまり覚えていないが、まあ私の体感時間で言えば2年ほどだろう。イーノック本人にとっては数ヶ月程度だろうが、あいつはなにぶん人の話を聞かないからすぐ突っ走って死の辛酸を舐めにいく。だから私が巻き戻した時間を総合すれば、それぐらいは経っているはずだ。
しかしまあ、割と長い間あいつを見守ってきたが、イーノックという人間は驚くほど口数が少ない。必要最低限のことしか喋らず、それは行動に関しても言えることだ。必要なことしかせず、表情もあまり動かない。常に淡々と堕天使たちの捕縛を行っている。つまりイーノックは、端から見れば感情の機微を感じ取らせない男なのだ。2年見守ってもこれなんだから、会ったばかりの頃は本当に苦労した。ああ、とか問題ない、などしか喋らないあいつにどれだけ参らされたことか。
というわけで、私はイーノックの感情を注意深く読み取る練習をしてみようと思い立った。言っておくが、断じて暇だったからではない。サポート役なのにサポートする相手の感情も読めないようでは大天使の名折れだからな。

「ルシフェル、このあたりに休憩場所はあるだろうか」

不意に、観察者本人に声をかけられた。ところどころ剥がれた鎧が激しい戦闘を繰り広げたことを物語っている。しかしその表情をまじまじと見つめても、疲れの色は見られない。人間は疲れやすいと聞くが、こいつの体力はいったいどうなっているんだ。神に永遠の若さと共に無限の体力まで授かったんじゃないだろうな。

「私の顔に何かついているか?」
「ん?ああ、いや」

あまりにも凝視しすぎたのか、イーノックはほんの少し首を傾げた。それでもやはり表情に著しい変化はない。こいつの表情筋の仕組みもよくわからないな。

「ろっと、休憩場所についてだったな。確かこの先をまっすぐ行ったあと左に降りたところに、小さい洞窟があったはずだ。使役獣の奴らにも見つかりにくい場所にあるから、そこで体を休めるといい」
「助かる」

軽く頭を下げて感謝の意を示すイーノック。こういう律儀なところは最初から変わっていない。こいつのこんなところには好感が持てるな。
イーノックはすぐさま洞窟に向けて歩き出す。さて私も見守る役に徹しようかと自慢の羽を背中から生み出そうとした。が、一歩前を行くイーノックが歩く度に、ただでさえ肢体の一部分しか包んでいない鎧がばらばらと砕け始めていることに気づく。破片を散らして進む様は、もし使役獣が飛び出してきたら確実に危機に陥るであろうことを容易に想像させた。

「イーノック、ちょっと待て」
「?」

呼び止めると、すぐに振り向いてなんだと尋ねてくる。そんなイーノックの近くまで歩み寄って、拳一つほどの間しかできないほど詰め寄ってぴたりと足を止めた。ただ瞬きを繰り返すイーノックの右手を掴むと、目の前のそいつは微弱に体を揺らした。

「じっとしていろよ」

一声かけて、持ち上げた右手の甲にそっと口をつける。イーノックが『あ』と小さく声を漏らしたのと同じぐらいに、口づけた箇所から光が溢れた。それは瞬く間にイーノックの四肢を包みこみ、光が消えた頃にはもう鎧の修復が完成していた。つまり私は今、こいつに祝福を施したわけである。我ながら便利な力を授かったなと思う。
鎧が全て修復したのをこの目で確かめ、手を離して3歩ほど下がり距離をとった。イーノックは私が手を離してから数秒の間なぜかそれを宙に浮かせたままだったが、やがてゆっくりと引っ込めた。

「それでもう装備の心配はないはずだ」
「…ありがとう」

そう言うが早いか、イーノックはまたすぐに歩き始める。なんだかいつもより素っ気ないというかぶっきらぼうな印象を受けたが、装備を直してやったのに不機嫌になることもないだろうと思考して、気のせいだと割り切ってばさりと自らの翼を広げた。さて、私はまたどこかで高みの見物でもしておくとしよう。


2時間ほどが経ち、先程まであたりを照らしていた夕日が姿を隠し始める。そのうちにここら一帯は夜の闇に包まれるだろう。イーノックはといえば、この辺の使役獣は強く、暗がりで戦うのは不利だという理由で今日はもうあの洞窟で休むらしい。観察対象がいないと暇なもんだなと一人吐いた溜め息はただ虚空をさまよった。

「…少しだけ様子を見に行ってみるか」

休息を取っているところを邪魔するのも悪いと思っていたが、少しなら大丈夫だろう。そう考え、また羽を広げて洞窟に翼を向けた。

大きな空洞にすっぽりと収まりがつがつと焼いた魚を貪る巨漢の姿がそこにはあった。その足元では火の赤が空洞一帯を照らしている。男のほうに足を踏み出せば靴と地面が擦れ合う音が響き、男の澄んだ青がいち早くこちらを向いた。

「ルシフェル。何か用か?」

イーノックは食事を中断し、そう私に訊く。食欲という人間の三大欲求の一つが満たされている最中だからか、少しだけ表情が和らいでいるように見えなくもない。『ちょっとな』と適当にはぐらかし、イーノックの隣に腰掛ける。すると隣のそいつは少しの間私を見つめていたが、特に何も訊かずまた食事に専念し始めた。とりあえずその様子を間近で観察してみる。よほど腹が空いていたのか、実にいい食いっぷりだ。頬についている食べかすにも気づかずに、ただ目の前の魚のために口を動かしていた。はて、もし今こいつにちょっかいを出したら、果たしてどんな反応を示すだろうか。後にしてくれと言われるか、まったく気にせず食い続けるか。好奇心がむくりと起き上がり、試してみたい欲求に駆られる。心の中でほくそ笑む私には気づかずに、イーノックは絶えず咀嚼を続けていた。その頬を、つん、と人差し指で軽くつついてみる。

「……?」