「みんなで祭りに行こう」という話をしてから一週間後、僕らは希望ヶ峰の近所で開催された夏祭りに足を運んでいた。浴衣を着て祭りの雰囲気を全力で楽しもうとしている人や出店のことしか考えていない人など、はしゃぎ方は多種多様だ。夢野さんの浴衣姿に茶柱さんが異様なほどテンションを上げている中、ある人物が見当たらないことに気づきあたりを見回す。
「百田、まだ来てないね」
春川さんにそう言われ、うん、と頷く。まだ百田くんの姿は見えない。よく見ると王馬くんも来ていなかった。王馬くんは来ない可能性があるとしても百田くんがこういうイベントに来ないはずはないからどうしたのかとすこし不安になる。もうちょっと待ってみよう、と告げると春川さんは静かに頷きを返した。
しばらく入り口のあたりでそうして待っていると、やがて人混みから特徴的なシルエットが並んで現れた。百田くんと王馬くんだ。そっちに向かって手を振ったとき、ふと二人の手元が目に留まりーー僕と春川さんは驚愕した。百田くんと王馬くんが、手を繋いでいるのだ。おう終一、最原ちゃーん、と二人の声が重なる。春川さんお願いだ、懐からナイフを取り出さないでくれ。
「わりー、遅くなったな」
そう話す百田くんは笑顔だけど、王馬くんが横から「ゴメンねー!」と声を出すと眉間に皺を寄せて嫌そうな顔をする。何がどうなっているのかまったくわからなかった。この状況の意味を尋ねようと「あの」と呟いた瞬間、王馬くんがにこりと笑って百田くんを呼ぶ。
「いい加減離したら?どんなに待ってもオレから離すことなんかないよ!だってオレは百田ちゃんが大好きだからね」
「下手くそな嘘ついてんじゃねー!ぜってーオレからは離さねーからな!」
「……悪の総統に『下手くそな嘘』とは、イイこと言うねー百田ちゃん!もっと好きになっちゃったから、もう一生離せないなー!」
……本当にどうなってるんだ。春川さんを横目で見ると顔をしかめつつまだ懐に手を入れていた。夏祭りが血祭りになってしまう前に詳しい事情を聞かなければならない。
「えっと……何があったの?」
僕がそう言うと、百田くんはこうなった経緯をようやく話し始めてくれた。王馬くんの茶々を除外して話をまとめると、つまりこういうことだ。夏祭りに向かっていた百田くんは道の途中でばったり王馬くんと出会い、そのまま一緒に祭りへ向かうことになった。王馬くんと一緒の道中で何事もなく目的地にたどり着くわけもなく、彼は突然百田くんの手を握り「このまま一緒に祭りに行こう」と嫌がらせを吹っ掛けてきたそうだ。狼狽した百田くんは、けれどここで離すのも王馬くんの思い通りのようで面白くないと思ったらしく、手を離そうとしなかったらしい。結果我慢比べのような事態に陥り、今に至るということだった。……結構どうでもいい理由だったな、という感想は言わない方がいいだろう。
「オレは全然いいけどさ、百田ちゃんはこんなカップルまみれの場所でオレと仲良く手繋いでて精神が持つわけ?オレらたぶんカップルと間違われちゃうと思うけど」
「へっ、それくらいどうってことねーよ。宇宙飛行士の忍耐力舐めんじゃねーぞ!このまま遊園地にだって行ってやってもいいくらいだぜ」
王馬くんの暇つぶしぐらいにしかならない意地の張り合いはなかなか止まらない。そこで満を持してという風に、春川さんが「ねえ」と二人に向かって呟いた。
「どうでもいいけど、このままずっと離さないままなら殺すよ」
春川さんの胸元できらりと光る刃物は夜によく映えた。僕たちは全員口をつぐみ、葬式のような空気が一時あたりを支配したのだった。


くじ引きで当たった5等のティッシュを脇に抱えながら人混みを眺める。祭りにはかなりの人数が来ていて、人の流れに押されているうちに百田くんたちと見事にはぐれてしまった。携帯もうまく繋がらず思わずため息が漏れる。この人だかりじゃもう会えないだろうし、花火を見たら帰ってもいいかもしれないな。そう考えながら腕時計に目をやれば、秒針は花火が上がる5分前を示していた。
「終一!」
不意に聞き覚えのある声がして、反射的に振り返るとそこには百田くんがいた。こんなところにいやがったのか、なんて言いながら僕に向かって笑っている。百田くん、と呼んだ声は我ながら少し弾んでいた。
「他のみんなは?」
「あー、オメーと同じではぐれちまったらしい。まあ何とかやってんじゃねーか?」
「それより聞け!」と百田くんは向こうにある黄色い屋根の屋台を指差す。「あそこの焼きそばがマジでうめーんだ。今からもう一回買いに行くけどよ、オメーも食うよな?」
「……え、決定事項なの?」
僕の言葉も聞かずに百田くんは屋台に向かって歩き出してしまった。またはぐれたら大変だと思い慌ててその背中を追う。しばらく歩いたところで百田くんはふと僕に振り返った。
「終一、はぐれんなよ。手でも握っとくか?」
「……あはは。いや……」
それはちょっと、と言おうとした。けれどその瞬間、突如入り口での記憶が脳裏に甦った。百田くんと王馬くんが手を繋いでいる光景を思い返す。思い返したところで何かあるというわけじゃないけどーーないはずだったんだけれど。僕の口からはいつの間にか言葉が漏れていた。
「……うん。いいかな」
そう言って手を握る。まさか本当にこうなるとは思っていなかったのか、百田くんは困惑気味におう、と呟いてから「男に二言はねーしな」と言って僕の手をきつく握り返した。他人の熱が手のひらに伝わってくる。ただでさえ熱気を受けた体がより体温を上昇させたような気がした。
どうして僕は百田くんの手を握ったんだろう。普段なら絶対こんなことはしないはずだった。入り口での出来事をもう一度反芻しながら人波に揉まれて歩く。周りは王馬くんが言っていたとおり、確かにカップルが多いように思えた。居心地の悪さを感じながら黙って手を引かれていたとき、ふと恐ろしい可能性に気づいてしまいハッとする。……もしかして僕たちも今、そういう関係に見られているんじゃないのか。実はさっきからなんとなく周りの視線を感じていたし、その可能性は大きい。やっぱり手を繋ぐなんてどうかしていた、このままじゃ僕はともかく百田くんまで悪目立ちしてしまう。
手を離してもらうため「百田くん」と半歩後ろから声をかけると、その顔がゆっくりこっちに向いて、口端が持ち上がった。
「おう。どうした?」
単純に祭りに目を輝かせる、明るい表情が僕に向く。それを見た途端、準備した言葉がすべて頭の中から霧散していってしまった。あ、とかその、とか言葉にならない声を短く上げる僕を、百田くんは不思議そうに見やる。
「……ごめん、なんでもないんだ」
そう言って手を握り直す。まだしばらく離さなくてもいいか。思いながら安堵している自分に気がついて、手を離すことを心のどこかで名残惜しく思っていたことを自覚した。それがどうしてなのかはまだわからない。……というかこれ、春川さんに見つかったら殺されそうだな。考えて、小さく苦笑した。
「お、終一。来るぞ」
「え?」
百田くんを見上げたその瞬間、空に一筋の光が昇った。暗闇の中、一瞬の間を置いてから光は大輪の花を咲かせる。少し遅れてドンという音がして、体が内側から震動した。百田くんが僕の名前を呼ぶ代わりに手を強く握ってくる。
「見てたか?」
「うん」
その手のひらは汗ですこし湿っている。だから余計に、まだ離したくないと思ってしまった。春川さんに見つかったときの言い訳を考えながら、花火が打ち上がるたび色とりどりに変わる百田くんの横顔を僕はじっと見ている。