「行くぞ終一、宇宙に轟くぜ!」
そう言って百田くんはハッチの開いた宇宙船から勢いよく真空に飛び降りた。もちろん、僕の腕をしっかりと掴んだ状態でだ。まだ心の準備も何も出来ていなかった僕は「うわあ」と間抜けな声をあげながら馴染みのあるはずもない宇宙に躍りだす。まず最初に呼吸の心配をしたけど、心配は杞憂に終わり問題なく息はできた。身もよだつような漆黒の、孔のような深淵ばかりがあたりに広がっている。けれど散り散りに輝く小さな光の粒や川のごとく連なる星の集合体、遠くに見えるひときわ大きな光の固まりのおかげで完全な黒であることはなかった。むしろその絵の具を散らしたような黒と光は現実のものとは思えないほどに美しい。これが百田くんがずっと目指していた宇宙なのか、と 思うと喉の奥が熱くなるような想いがした。宇宙に浮かぶ百田くんの姿は、そこにいるのが当たり前であるかのようによく映える。
絶景に抗うすべもなくしばらく宇宙を眺めていると、宇宙船の横に今時珍しいほど歴史を感じる列車が止まって何かをアナウンスした。よく聞き取れないけど、何か大事なことを言っているような雰囲気がある。けれど百田くんはそれに目もくれやしなかったので、乗らないのか尋ねてみると「あれはオレらしくねーだろ」と明るく笑った。僕は言葉の意味を量りかね、何度か口を開閉させたけれどついにそのまま押し黙る。
「おし、じゃあ行くか。終一、こっからはちっと飛ばすぜ。オレにしっかり掴まっとけ!」
急にそう言われてもどこを掴めばいいのか困る。腰に掴まる……のはなんだか照れくさいし情けなくて嫌だったが、遠慮して服の裾なんて掴んだら「もっとしっかり掴まれ」と怒られそうだ。しばらく逡巡したのち、妥協案としてその腕を掴む。百田くんは満足してくれたようで、にこりと笑ったあとに、行くぞ、と一言つぶやいた。
百田くんが地を蹴るような動作を宇宙の真ん中で行う。すると僕らの体はぐんと前へ進み、一気に前進した。無数の星のなかを身一つでどんどん駆けていく。さらさらとささめくすすきのような不思議なものや馴染みのない花、宝石みたいな輝きがいくらでも目に入っては後ろへと流れていく。怖いくらいに何もかもが恐ろしく美しく、百田くんも何か見つけるたび面白そうに歓喜の声をあげた。 僕はわくわくとした思いを胸に秘めながら、百田くんの腕にいっそう強く力を込める。

「おっ、終一。川があるぜ!」
百田くんはそう言って透き通る川の近くに足を下ろすと、すぐに水のほうへ駆けていった。上着の裏と同じく銀河柄の靴を脱いで、ズボンの裾を二、三度折っている。
「入るの?」
「山がありゃ登る、川がありゃ入る!それが男ってモンだろーが」
そんなジンクスは初めて訊いたけど、百田くんの勢いは止まらず気づいたときには川の浅瀬に足首を浸からせていた。百田くんがすこしでも動くと律儀に水は揺れて波紋をつくる。その川はずいぶん水がきれいで、テレビで見る外国の海のように透き通っていた。よく観察すれば水面に細かい星がいくつも浮いている。こんなに綺麗な川は初めて見たと呟けば、百田くんはたぶん天の川か何かだろうと教えてくれた。
「つーか、ボスが入ってんのに助手が入らなくてどうすんだ。オメーもこっちに来いよ」
そう言って雑に手招きをされる。僕はいいよ、といちおう伝えてはみたが、案の定「良くねえよ」と謎の勢いで却下された。仕方なく靴と靴下を脱ぎズボンを折って、百田くんのほうに近づいていく。川に足を踏み入れると冷たい水がどこかさわやかに足元を冷やした。僕と百田くんの足が水面でぐにゃりと歪むのが見える。冷たくて気持ちがいいね、と百田くんに話しかけようとしたとき、不意にばしゃりと音がしたかと思えば僕の服に少し水がかかっていた。すぐさま百田くんを見やれば、にやりとした顔ですでに第二砲の準備に取り掛かっている。
「ちょっ……百田くん」
「ハハ、水遊びは男の基本だろ?」
「濡れちゃうよ、服が!」
「んなもん乾かしゃいーんだよ」
言うと、その手は即座に構えていた二発目を放ってきた。本格的に上着が濡れて中のシャツにも浸透しはじめる。こうなるともはや引くわけにはいかなかった、僕にも意地というものはあるのだ。腰を曲げて両手を川に沈め、百田くんを見上げる。なんだか少し嬉しそうに僕の視線を受け止める彼にめがけて掬った水を思いきりぶちまけた。百田くんはそれを避けることもせず、ばしゃ、と水をその体で受け入れる。そして「やりやがったな!」と弾けるような笑顔を貼り付けながら僕に対抗するためにまた水を掬った。やりやがったなって、キミがさんざん煽ってきたくせにな。そう心の中で苦笑しながら今度は百田くんの攻撃を腕で防いだ。

すっかりずぶ濡れになった僕らは上着を小脇に抱えながら川辺をゆっくりと歩いていた。僕の髪からは水が絶えず滴っているけど、百田くんは首から上を重点的にガードしていたおかげでほぼ髪が濡れていないしもちろんセットも崩れていない。これだけ濡れているのにあまり寒くないのをなんだか不思議に思いながら、百田くんの後ろで砂利の擦れる音にじっと耳を傾ける。
しばらく川に沿って歩きつづけていると、遠くのほうで赤く火が燃えているのが見えてきた。近づいていくと、誰が放置していったのか割られた薪の上でひとりでに炎が揺らめいている。酸素が存在していないからかそれはぱちぱちと弾けるようすもなく、けれど手をかざすと確かに暖かかった。


書き直しちまった
蠍の炎は王馬であり百田くんなんだよな
終結