紅鮭
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ここを出ても助手だからな、と言って百田くんは気楽な笑顔で僕に手を差し出す。きっとこれは彼の人生の中のほんの一瞬に過ぎないのだろう。じっと僕を待つ手のひらを見つめたあと、ゆっくりと、固くその手を握る。これは僕にとって永遠のような一瞬だった。ここから出ても彼の助手を続けていけることに僕は喜びも誇りも強く感じているし、そうありたいとも思っている。でも、こうして助手という関係の天井を設けてしまったら、ああ百田くん。……キミは分かっているのかな。
僕はいちおう超高校級の探偵で、その性分か他人の細かい仕草や発言には逐一目を配ってしまいがちだ。まして対象が好きな人となれば尚更で、僕はこのおかしなバラエティに参加させられている間、百田くんのことをずっと見ていた。笑うときに大きく開く口や真っ直ぐに相手を見つめる強い瞳、意外に子供のように拗ねたりホラー映画を怖がったりする人間らしい隙や、彼の心の中までもを見た。僕はたくさんの彼を知って、そのうえでもっと彼の深いところ、彼のすべてを知りたいと思った。でも彼のすべてを知ることのできる場所におそらく僕は立っていない。ここを一緒に卒業できるからといって、きっと彼は僕のことを恋愛という感情で好いてくれているわけではないのだと思う。たぶん今もこれからも僕の本当の感情を彼が許すことはない。ここを出ても、助手という隠れ蓑のなかで彼を観察しつづける日々が始まる。いつかキミは宇宙に飛び立ち月や火星に降り立ち星に旗を立てるだろうし、いつかキミには好きな人が出来て、結婚をして子供を作るのだろう。そのすべてを僕は隣で見守らなくちゃいけないんだろうな。そうぼんやり考えた。
「将来オレにガキが出来るだろ?そんとき、父ちゃんは宇宙の全部を知ってんだぜ、って教えてやらなくちゃなんねーからな。一刻も早く宇宙に行って、いろんなモンを見てこねーとな!」
ねえ百田くん、覚えてるかな。この学園に来て間もない頃、キミは夜空の下で僕にそう言ったよね。星空の中に浮かぶ月が静かにキミを照らしていたのがあんまりにもきれいで、僕は本当に必然のように、ああ彼はこの夢をきちんと果たすんだろうなあと思えてしまったのだ。
今すぐここから走り出したい気持ちを必死に抑え、代わりにしっかりと笑ってみせる。
「うん、もちろんだよ」
百田くんは、信頼のありかだとでもいうかのように僕を見つめている。お願いだからそんな風に笑わないでくれ。