雑貨屋を見に行こうと屋根裏から降りてくると、ちょうど降りた場所に立っていたホームズさんに首根っこを掴まれた。突然何なんだとかワガハイと同じ扱いなのかとか考える暇すら与えられずソファに引きずり倒され乗し掛かられる。彼はぼくの首筋に頭を埋めて大きな大きな息を吐いた。しばらく出方を窺ってみたが、そのため息以外の行動がなかなか起こらない。何が何だかまったく分からないがとりあえず早くどいてくれないだろうか。全身の力を抜ききっているのか重くて仕方がない。
「ホームズさん、なんなんですか」
背中を叩き声をかける。しかし大した反応は返ってこなかった。もう一度呼んでみるけれど、いかにも気だるげな唸りがひとつあげられるのみだ。しばらく不毛な抵抗を続けていると、やがてようやくその顔が重たげに上げられた。眉をこれでもかと寄せた不機嫌そうな表情は、まるで今のぼくの鏡のようである。人を引き留めておいてこれとは何という自由人なのか。
「静かにしたまえ、ミスター・ナルホドー」
「そうして欲しいならまずどいてください」
肩を押しながらそう告げるがこの体重から解放される気配はまだ感じられない。ホームズさんはまた大きなため息をひとつついて、なあ、とぼくに対して投げやりに言葉を放した。
「ボクを褒めてくれよ」
「……は?どうしてですか」
「何だっていいじゃないか、そういう気分なんだよ。とにかくボクのことをてきとうにアメイジングだとでもミラクルだとでも言って盛大に褒め称えてくれよ」
先刻までも充分訳が分からなかったけれど、口を開くとさらに訳が分からない。ぼくが彼の言うことをきくまでは梃子でも動かないつもりだということぐらいしか今彼から察せられることはなかった。退屈そうに口を尖らせるホームズさんを見やりながらさて参ったぞと胸中で呟く。ホームズさんがぼくに何を求めているのか見当すら付かなかった。褒めてくれと言われても、何をどう褒めれば良いというのか。
「……最近何か良い事をしましたか?」
「おっと、ボクから何かを提示したりはしないぞ。それにボクの思う良い事がキミの思う良い事とも限らないしな」
「"のーひんと"ですか……」
呟けば、ホームズさんが投げやりな笑い声をあげた。憂鬱そうな瞳がぼくを見つめているが、位置の影響で上目遣いになっている。普段は見下ろされるばかりなのでなかなか新鮮な光景だなとぼんやり考えていた時、ふとその青い目に意識を奪われた。彼やアイリスちゃんと目が合う度不思議に感じるのだが、どうして西洋の人々の瞳はこんなに飴玉のような色をしているのだろう。目の前のそれに吸い込まれるような錯覚を覚えながら、ホームズさん、と彼を呼んだ。青が微細に開かれる。
「目が綺麗ですよね」
言った瞬間、ホームズさんの瞳は丸く開かれ、より飴玉に近づいた。驚いているらしいその様子に言葉を間違えただろうかと冷や汗が滲む。しばらく彼の出方を待ち、この状況をどうするか、ああそろそろ昼ご飯の時間だな、などといろいろな思考を浮かべ、そうしていうるうちにホームズさんはついに沈黙を破り盛大に吹き出した。あっはっはっは、と実に楽しげに腹を抱えて笑われてもこっちは対応に困るばかりだ。
「やっぱりキミは飽きないなあ!いや面白いな、退屈も吹っ飛んじまった!」
「それは何よりですが……」
「シンプルだがなかなか良い口説き文句だ。妙齢のレディにでもなった気分だよ」
口説き文句。そう形容されて、ぼくはそんなに恥ずかしい事を口にしただろうかと狼狽える。ホームズさんは満足げな表情を浮かべながらようやく起き上がり、ああ良い気分だ、と呟くとぼくの居るソファの向かいに座った。キセルを手に取りマッチで葉に火を付ける。きちんと座り直しながら、煙が立ち上ぼり空気に融けていく一連の事象をただ眺めた。彼の目はすっかり輝きを取り戻しているのでおそらくぼくは彼にとって正当な対処が行えたのだろう。そう納得して、今度はぼくが長く深いため息をついた。
「さて、暇潰しをさせてくれた礼にチップを弾もう。もっとも昨日のポーカーでキミからぶんどった分だけどね」
「……まあ、返ってきて良かったですよ」