「あれ、豚肉だ」
「喜ばしいことにな」
「今日は鶏肉だって言ってなかったか?」
「どうやら変更になったらしい。おかげで命拾いした」
「はは、大げさだなあ」

雪の残骸が道端に散り散りになって転がっている。一瞥して、すぐに目を逸らした。深くかぶった帽子の下で橙の街灯が不明瞭な光を見せている。それからも視線を外し、夜道をじっと歩きつづける。吐く息が白く染まり、指先が手持無沙汰にただ冷えている。何かを待っているけれど、いくら待てども何もやっては来ない。

「この数十日、よく耐えたな。あと少しすれば寝台で思い切り体を伸ばして寝られるぞ」
「我ながらよく頑張ったと思うよ、本当」
「やはりキサマはオレが見込んだとおりの男だ。今回の無茶の詫びに借金の十五銭のうち十銭は免除するとしよう」
「……そんなに借りてたのか、ぼく」

「なるほどくん、おかえりー!」
扉を開けた瞬間にアイリスちゃんの明るい声が駆け出してくる。ただいまと返事をしながら家の中を進むと、茶葉の香ばしいかおりが鼻をくすぐった。部屋を覗くとアイリスちゃんがソファに腰かけカップに紅茶を注いでいる。
「いいにおいだね」
「今回はね、かなりのジシン作なの。なるほどくんもどう?」
「いただこうかな。荷物置いて来るよ」
ハーブのにおいを横切って屋根裏へ登る。古雑貨屋で買った物たちを床に下ろし、ひといきをついた。窓の際で埃が光る。部屋の隅の茶器が陽に照らされて、椀のふちが白い三日月形に染まっていた。連想の末に、自分の爪を見る。ずいぶん伸びたものだ。

「明日、船が港に到着する。まずは高等法院へ向かい、主席判事にお会いする手筈となっている。その間キサマにはまた洋鞄に入っていてもらうことになるだろうが……。……何だ、そんな顔をするな。キサマはただオレを信じていればいい。オレとキサマが共に在れば、何処に向かおうと怖いものなどありはしないさ」

ふとした瞬間、景色の中に亜双義が現れる。訪れた悲劇を切り抜け、この英国の地で、ぼくの視線の先でいつもどおりに笑っている。陳腐な妄想だということは分かっていた。けれど消し去ることもできない。窓の外を眺めながら刀の柄に手を置く。いたかもしれない亜双義はいつだって笑顔だった。
嗚呼どうかずっとそうやって笑っていてはくれないだろうか。たとえ思い起こしたくない日であっても、その笑顔でぼくの胸臆に寄り添っていてはくれないだろうか。それがぼくの恐れであり、願いだった。ずっと何かを待っている。

「到着だ、成歩堂!さあ、せいぜい暴れてやろうではないか!」