亜双義のまつげが小刻みに震えている。唇は控えめに開いていて、瞳の表面には小さな海ができていた。「成歩堂」とぼくを呼ぶその声色はやたらに甘美な響きを持って鼓膜を叩く。亜双義の全身から、ぼくへの恋慕が滲み出ていた。ああ、これは果たして妄想だろうか?それとも嘘のような現実なのだろうか?
答えはもちろん前者だった。そりゃあそうだ、亜双義がぼくに向けてこんな顔をするわけがないのだから。妄想の中でも一等出来の悪いそれであり、もはや笑みさえ漏れ出ない。
初めてこの妄想が現れたのは亜双義が死んで5日ほど経った頃、波の静かな夜更けだった。未だ寝台を使えず洋箪笥に収まっていたぼくに、ふと外から誰かが声をかけた。それはまるで、亜双義の声だった。慌てて洋箪笥を開けてそのまま足をもつれさせ転がり落ちたぼくに、頭上から「ははは」と声がした。声のほうを向けば、そこにはやけに優しく微笑む男の姿があった。それは紛れもなく亜双義一真だった。
そこから亜双義の幻影はふとした瞬間ぼくに顔を見せるようになった。ああぼくけっこう参っていたんだな。そう感じつつ、ぼくはこのぼくの妄想が作り上げた亜双義とどう接すれば良いのか困っていた。何より困るのが、亜双義のぼくを見る瞳だ。生前には無かった色が宿っている。正確に言葉にして言うならば、ぼくに親友としての親愛以上の感情をはらませているのだ。これ以上の陳腐はなかった。亜双義がそんな顔でぼくを見るわけがない。ぼくらは、そう、最高の親友だったのだから。そこに少しの桃色もありはしなかったのだ。そうわかっていたのに、ぼくはなぜだかこの陳腐をなかなか終わらせられないでいた。
「成歩堂」
ぼくの名を呼ぶその声で、意識が現実に引き戻される。


記憶がない