今年からアパートで一人暮らしを始めた俺の部屋は、家賃が安い割にけっこう広くて立地条件も良く、自慢の部屋だった。ただ男の性かなんなのか、俺は掃除が苦手だ。脱いだ靴下は脱ぎっぱなしで放置、取りこんだ洗濯物はタンスに片づけもせず部屋の四方八方に散らかっていた。四隅を歩くと埃が舞い、白かったはずの壁は微妙に黄色く変色している。恋人に掃除を頼んでみたこともあるが、向こうも俺と同じぐらい掃除が嫌いらしく丁重に断られた。まあそんな風に散らかり放題だった俺の部屋が、大学から帰ってくると、なんの前触れもなく見違えるほど綺麗になっていたとしたらどうする?
ただし、部屋の中で動物たちの大合唱が行われていることを条件に。

いつものように鍵穴に鍵を差しこんでがちゃりと半回転。開いた扉を引きながら『ただいまー』と告げる。後ろ手で扉を閉めてから靴を脱ぎ散らかして部屋の奥を覗くと、そこはまさにファンタジックな世界だった。

「…なんだこれ」

ネズミ数十匹がモップを手にフローリングを駆け回る。天井には公園でよく見かけるようなハト数羽がくちばしで電球の埃を払い落とし、ちょうど埃が落ちる位置にゴミ袋を構えてスタンバイしているのが…フナムシ数百匹…。

「お、おま、おまえら出てけええええ!!」

何がなんだかよくわからないが、とりあえずこの一風変わった動物園みたいになっている部屋の状況を打破しようと、窓を開けてネズミとハトを追い払う。案外あっさり出ていってくれてほっとしたのも束の間、フナムシが窓枠にうじゃうじゃと寄ってきた。

「うひ…うわぁぁぁぁぁ!!」

ご近所さんへの迷惑も考えずにどでかい声で叫びながら部屋の端に走って逃げる。情けないことに今俺は半べそだった。だってこの状況は泣きたくもなるだろ!なんだよこれ!

「おいおい、なんの騒ぎだよ」

不意に、風呂場から声が聞こえてきた。鈴の音みたいな、綺麗な声。低く落ち着き払っていながらも、人を元気にするような、不思議な声。見ると、ぺたりぺたりと湿りっ気のある足音を響かせる声の主が、風呂場の前に立っていた。
……ああ、そうだ。あったよ前触れ。

昨晩、俺はバイトの帰りに歩道橋にへたりこむ一人の男を見つけた。普段ならすぐさま駆け寄るんだが、何分その男の着ている服や雰囲気がおかしい。シンデレラみたいなフリッフリのドレスに、その手にはガラスの靴。しかし体格はどう見ても男。コスプレかと思いながら遠くから様子を窺っていたが、その男が頬に涙を伝わせたのを見て、ああ困ってるんだろうかと声をかけてしまった。近づいてよくよくその顔を見てみると、いかんせん綺麗な顔で泣いてるんである。更にその男が俺のほうを振り向いたから、不覚にもドキッとしてしまった。いやいや俺には恋人がいるんだぞと邪念を振り切るように頭を小さくぷるぷると振ってから、『どうしましたか』とまた声をかけてみる。すると、その謎の男は言った。

「……もう、歩けないんだ」

想像以上の綺麗な声に、思わず一時停止する。はっと我に返ると途端に熱くなる顔。うわあ俺もうダメかもわからんね。必死に顔を隠しながらちらりと男の足を見てみると、それは痛々しく腫れ上がって、ところどころから出血していた。

「うわ…大丈夫っすか」

思わず顔をしかめる。男は小さく首を振ってまた俯いてしまった。たぶん相当痛いんだろう。今さら見て見ぬフリもできねえし、しゃあねえ、病院まで負ぶっていくか。

「あの、病院まで負ぶっていきますよ」
「…え?」

男は俺のほうを見て、きょとん、という擬音が似合う表情を浮かべた。そのあと首を傾げながらこう言ったのだ。

「病院って、なんだ?」

…え?
一瞬何かの冗談かとも思ったが、男があまりにも不思議そうな顔をしているため、恐らく本気だということが窺い知れた。
ーーえ、病院だぞ?誰もが必ず一度は行かなきゃならない場所だぞ?健康優良児と噂のこの俺でさえ人生で2回以上は行ったぞ?

「病院…聞いたことはあるな……ああ、大勢の人を一人の医者が診るっていう慈善施設か」

このお方、一人でそんなことを呟いておられる。おいおい、嘘だろ。超世間知らずのコスプレイヤーってわけか?意味がわからん。

「あのー…もしかして、病院行ったことないとか…」
「ないな…。俺にはかかりつけの医者がいるから」

つまりどういうことだってばよ?えーと…つまりこの男の家は超のつく金持ち…ってことか…?だからドレスもそんなに凝ってんのか…。いったいコスプレにいくらの金を使ったんだろう。想像するだけで恐ろしい。しかし、それなら世間知らずなのもまあ頷ける。

「まあ、とりあえず病院行くから乗っ…あ」


某映画パロがしたかったんです…
なぜか日向の恋人役が松下五段って設定で書いてました