ビルの上を浮遊するのは僕の宿敵とも呼べる人物であり、僕がいまもっとも苦手とする男そのものだった。兵部、と叫べば奴は振り向いて、おそらく僕が浮かべているだろう表情と同じそれをしていた。わざわざ兵部に合わせてビルの屋上にいるせいで、風が強く頬を当たる。あいつの髪もばさばさと風に揺れてずいぶんとうっとうしそうだった。


「なんだよ」


奴はじろりと僕を睨む。ほっとけとでも言いたげなその視線はまるですねた子供のそれで、薫たちと変わりがあるようには思えなかった。80超えのくせに。おおかた予測になかった僕との遭遇で気が立っているのだろう。僕は念のため用意しておいたブラスターに手を添え、兵部の目をじっと見つめる。けれどべつに今日は兵部を捕まえようという気はあまり持っていない。兵部も僕の心を読みとったのかそれがわかったらしく、特に構えようとはしなかった。ふんと鼻を鳴らし、僕をただ見下している。いつもとなんら変わりのない態度だ。少し苛立ちはするが、それでも僕の意思を汲んで手を出してこないあたりは有り難かったし、なんだかネガティブの色には属さない感情さえ覚えてしまった。僕はブラスターから手を離し、拳を握りしめる。兵部は僕から目を逸らさない。


「なあ、兵部」
「なんだよ」
「お前、僕のこと好きか?」


面白いくらい綺麗に兵部の顔が歪んだ。不快の色を隠そうともしていない。はあ?と相手を見下すための声色が空から降ってくる。それを聞いて、もちろん腹も立ったが、それより僕は心底安心してしまった。兵部はそうであらなくてはならないし、僕だって、兵部と同じ気持ちでなくてはならない。そうでないと僕らは互いの立場にいられなくなってしまうし、少なくとも僕があいつを闇から引きずり出せない。だから兵部は、これでいいのだ。ムカつくけど。それが確認できてよかった。
兵部は僕を睨みながら眉間にしわを寄せていたが、不意にふと真顔になり、僕をさっきとは違う感情の籠もった瞳で見つめた。そんな姿を見ていると、なんだか笑みがこぼれ出てしまう。


「僕もお前がめちゃくちゃ嫌いだよ」
「…にやけながら言うことかよ」


気色悪い、と兵部は言ったが、あいつもまんざら不愉快なだけではないらしかった。居心地のいい敵対は長くは続かないし、続けたくもない。ただ、次こそは捕まえるだなんて一言をすこし慈しんでしまいそうな自分は、おそらく自らで認識している以上に危険な不安分子だと思った。