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龍ノ介の子供と亜双義
名探偵も人間だ。たまには捜査中に対象にまんまと見つかり拘束され、こうして拷問にかけられそうになることだってある。今回の犯人の部下であるというその男は、イスに縛り付けられたボクを見つめながら恍惚の笑みをじっとりとその顔に浮かべていた。おそらくシュミの合わない人種だ。善だ悪だという話を持ち出す気はないが、きっとその性根がボクの好みじゃない。
「彼は空洞だ。ああいや、悪い意味じゃなくてね」
ホームズはそう言うと右手で円を作り目で前でそれを覗きこむような仕草をした。
「こうして空洞を覗くと、そこには何が見える?」
「……そりゃあ」
目の前の景色、と私が答えると、そのとおり!と彼は笑う。
「つまり、そういうことさ。彼は目の前にある景色、《真実》をそのまま切り取って見ている。当然のようでいてこれはなかなか難しいことだ。皆この円を狭めたり、そもそも前を見ない者も多いのだからね。でも彼にはそういうずる賢さがない。彼の目は真実とそのまま繋がる澄んだ空洞だよ」
「あの男は光だ。最初こそ微弱ゆえ目視では捉えがたいものだったが、幾度も裁判を重ねるうち少しずつその輝きは頭角を現してきたように思う。……君も見ていただろう。あの奇妙な機械で、女王陛下と共に。あの男は我々の国の司法を目映く照らしつくした。それが良いことだったのか、それは……我々の今後の行い次第で決定するだろう。彼の真実への姿勢に敬意を表し、我々検察は常に真実への誠意ある思想を示していかなければならない。それが私に出来る感謝の表明だ」
「ええ、自分を何かに例えるなら?うううん…難しいね、なかなか。あえて言うなら、餅かな。友人と家族によく「いくつになっても餅のようなほっぺただ」ってからかわれるからね」
「……今までで一番参考にならないの」
さて、私は悩んでいた。今回の情報収集は我が父シャーロック・ホームズの推理に多大なる貢献を果たしてくれた偉大なる日本人留学生、成歩堂龍ノ介をぜひ拙作に恒常的に招きたいと考えた故の行動だったのだが、なかなかどうして我が父とその相棒に張る面白味を持ち合わせているのだ。
「いいんじゃないの?面白いんでしょ?」
「うーん、そりゃあ面白いのは大歓迎なんだけど、主人公はあくまでホームズとワトソンだから」
「ふーん。よくわかんないけど、都合があるわけね」
「うん。なるほどくんはもしかすると、ベツのところでとっくに主人公なのかもしれないの」
「?……ちょっと、あんまりムツカシーこと言わないでよ」
「えへへ。ごめんなの」
そういう訳で、彼を堂々と作品に登場させるのは断念することになった。世間的には密かな彼、成歩堂龍ノ介の大冒險が今後も続くことを願い、私はここでペンを置くこととする。
「ああ、実にヒドい夢を見た! 得体の知れない巨大な何かがボクの体の上にのしかかってだな、口に大量のセッケンを捩じ込もうとしてくるのだよ、キミ! 必死に抵抗するんだがうまく動けなくてね。いやあ大変だった、ほら見てくれよこの寝汗」
そう言ってホームズは額に貼り付いた髪を指差したが、それを言うのであれば私の髭もペタリと湿っている。夜中に突然叩き起こされ倫敦の闇をひとしきり疾走させられては互いにこうなるのも無理はないだろう。月を背負うホームズの目が爛々と輝いている。
「まあ、ここまで走ればもう悪夢も振り切っただろう。キミに魔の手が伸びることもない。安心したまえ!」
「……それは有り難いですね」
苦笑する私に対して彼は得意気な顔を崩さない。彼の突飛には耐性があるので、私も今更そこまで苛立ちはしなかった。恐らく昨夜にアルカロイドでも呷ったのだろう。
物一つ喋らない倫敦の街で、ホームズの「恐ろしかった」という呟きだけがこだまする。彼は己の体を両手でさすりながら嘆息しているが、それを見ているうちにだんだんと笑いが込み上げてきてしまった。
「おいおい、薄情だねミコトバ。友人がこんなにも怯えているというのに」
「ああ、いや、すまない。……ところでホームズ、妖怪というものを知っていますか」
「ヨーカイ?」
なんだいそれは。そう言ってホームズは頭に疑問符を浮かべる。確かに我が国以外でこの概念は親しまれていないだろう。
「妖怪というのは日本で大昔から伝えられている民間信仰なのですがね。まあ、幽霊をもう少しデタラメにした存在とでもいいますか」
「幽霊よりデタラメ? ハハ、まるでボクだな」
「……ははは!」
告げようとしていた言葉を先回りで取られてしまい、思わずまた吹き出してしまう。
そうだ、そのとおり。今ここにいる彼は幽霊より、いや妖怪よりデタラメな男なのだ。出会い頭に握手をしただけで私の全てを突き止めてしまったかと思えば、はちゃめちゃな推理で周りの者を心ゆくまで翻弄する。今日のように突拍子のない行動を取るのも今に始まったことではなかった。しかし私はそのどれもを不快に思ったことなどないのだから、ああまったくデタラメだ。そんな男が肩を震わせ恐怖している姿は、彼の言うとおり薄情かもしれないが可笑しくて仕方がなかった。
「幽霊より妖怪より、キミが一番デタラメですよ。キミより恐ろしいものなどこの世にいないのだから、そんな悪夢くらい可愛いものじゃないですか」
笑いの余韻が残ったままそう話す。ホームズはしばらく目を丸くしながら私を見つめていたが、やがて上機嫌そうににこりと微笑んだ。
「いや、いや。それもそうだな相棒。この名探偵以上の脅威などこの世に存在しないというのに、いったいボクは何に怯えていたんだか!」
礼を言うよと呟くとホームズはその場でくるりとターンした。こめかみに浮かんだ汗は月の明かりに照らされかすかに光っている。もう帰りましょうか。放った言葉は夜に広く溶けていった。私に返ってくる視線は静かに肯定の色を示す。
「ミコトバ、くれぐれも隣に気をつけてくれよ。キミの相棒は化け物だからな」
「ハハ、取って食ったりでもする気ですか?」
「それもいいな! キミはウマそうだからなあ」
電気のモノノケダンスを聴きながらかいたことはかろうじて覚えている
「ホームズさんは昔からこういう人だったのですか?」