モブ霊(MP100)

「今日学校で習ったんですけど」
「なにを?」
「これの付け方」
モブは学ランのポケットをごそごそと探ると、そこから何かを取り出した。そうして俺の眼前にずいと突きつける。四角い包装の中に丸い何かが入っている。飴かな?飴だよな。アレに酷似しているが、モブがそんなもんポケットから出すわけがない。
「コンドームです」
思いのほかはっきりと答えを提示され椅子からずり落ちそうになった。なんとか踏ん張りながらハハハと乾いた声をあげる。
「なんでそんなもん持ってんだ?」
「失敗したふりして一個もらってきました」
モブとは思えぬ知能犯ぶりに胸中の狼狽は極まる。性への好奇心を前にはあのモブも積極的になるということなんだろうか。そうなると、睨めるように俺を見る目を意識しないわけにはいかなかった。
「師匠」
「なんだよ」
少し緩んでいたネクタイをきつめに調節しながら視線を返す。モブはじっと俺を見つめた。見つめながら、それの封をゆっくりと切った。
「習ったから、もう付け方わかるんですよ」
「……それが何?」
モブが中から取り出されたゴムをつまむ。瞳が逸らされることはない。じっと俺を見ながら、師匠、ともう一度名が呼ばれる。
「試したいんですけど、練習付き合ってくれませんか」
なんで俺が、と言ってしまえばよかったのにあろうことか言葉に詰まってしまった。何か言わなくてはいけないのに。ひとまず立ち上がろうと机に手を置いたらそれを捕らえられる。今日何度目かの「師匠」が繰り出されたが、そこに懇願するような響きと熱を感じ取ってしまいついに俺は退路を断たれてしまった。 



ゴムの日に思いついて今日書いた
ウンチーコング

モブ律(MP100)

事故や事件、自殺のニュースが流れると兄さんはたまにじっとテレビを見つめる。画面の向こうにある事故現場とそこで状況を説明しているニュースキャスターのほうを見つめながら作業している手をぴたりと止めてしまうのだ。きっと兄さんはこの画面の向こうにある、もしくは『いる』何かを見ているんだ、と気がついたのは小学校低学年の頃だった。……僕はいくら画面に目を凝らしてもそれは見えない。場所と人間、ただそれだけの記号しか受け取れない。
「シゲ、あんたまたスプーン曲がってる!」
朝食を摂っている最中だった兄さんに対して向かいの母さんがそう指摘する。隣を見やると確かに兄さんのスプーンはぐにゃりと曲がっていた。
「またやっちゃった」
「もう、ほんとにこの子は」
頭を掻く兄さんに「貸して」と声をかけてスプーンを渡してもらう。力をかけると銀の塊は元の姿に戻った。いや、少しだけ曲がりすぎている。今まで何度も直してきたのに。
「ありがとう、律」
スプーンを僕から受け取った兄さんは朝食に手をつけるのを再開しようとしたけれど、画面から聞こえてくる音に反応してまたそっちを向いてしまった。兄さんの瞳はテレビから動かない。少し開いた口が小さく「あっ」と声を漏らす。何に対してなのか僕にはわからないし、きっと尋ねてもなんでもないと言われてしまう。気の利いた言葉のひとつも浮かばず所在なく兄の横顔に視線を注いだ。こういう時、僕はいつも消えてしまいたくなった。
「……兄さん。早く食べないと遅刻しちゃうよ」

モブ霊(MP100)

「モブくん、卒業後は家を出たまえよ」
パソコンの画面とにらめっこしたまま師匠はへんに大仰な口調で僕にそう言った。高校の課題に手をつけていた僕は顔を上げて師匠を見やる。この話題が終わったらシャーペンの芯を貸してもらおう。
「なんでですか」
「なんでってそりゃ、人生経験の為だな。親元を離れてようやくわかることっていうのは星の数ほどある。当たり前のようにメシが出てくることも税金雑費もろもろを勝手に払ってくれることもない生活を経験してるかしてないかで将来の自分は違ってくるぞ?まあそれと、単純に保護者の目がなくなって自由にできるのが楽しいからオススメだってのもあるが」
カチカチ、とマウスを操作しながら師匠はつらつらと意見を述べる。どうしてか僕のほうには顔を向けない。
師匠の言うとおり一人暮らしをするのはいい経験になると思うし、僕もうっすら考えたことはある。今はまだ二年生の春だからそんなにはっきり考えなくてもいいか、と思っていたけど、こう提言されてみると本格的なビジョンが頭に広がってきた。父さん母さん、そして律と離れるのは寂しいけど、確かにいろんなことが学べるだろうな。友達も家に招きやすくなるかもしれない。師匠も来てくれるだろうか。
「そうですね。したくなってきました。大学からの一人暮らし、ちゃんと考えてみます」
「あ。いや」
僕の言葉を耳にしたとたん、師匠は液晶画面から目を離して久しぶりに僕のほうを向いた。その様子はどこか焦っているようにも見える。焦る?どうしてだろう、僕は何かへんなことを言っただろうか。
「うん、まあ。一人暮らしは、良いことなんだが」
「師匠?」
「今回はそうじゃなくてだな……」
はあ、と嘆息して師匠は眉間を揉んだ。意図が読めないから大人しく先の言葉を待つ。腕を組んでまた僕を見た師匠は、けれどすぐに視線を逸らした。
「あのさ」
「はい」
「俺のアパートどう?」
「え?師匠のアパートですか?」
「うん」
「ああ、この前行かせてもらいましたよね。広くていいなって思いました。引っ越したんでしたっけ」
「いや感想じゃなくて」
意味がよくわからず頭にクエスチョンマークが浮かぶ。どういうことですか、と訊けば師匠は組んでいた腕を解いて机を指でトントンと叩いた。珍しく落ち着きがない。
「モブ、家賃というものを知ってるか」
「知ってますよ、それくらい」
「家ってのは住むだけでも金を払わなくちゃならない。その負担はなかなかに厳しいものだ。だが、その負担が半分になる裏技がある」
「裏技?」
「そう、裏技だ。それが何かというとだな。ずばり、折半だ」
「せっぱん……」
「折半すれば負担はかなり減る。目ざとい奴らはみんなこの裏技で家賃その他諸々の支払い地獄を乗り越えてんだよ。俺だって使えるもんならこの裏技を使いたい。だが残念ながら相手がいなかった。今まではな」
「はあ……」
「ところで、だ。お前が言ったように俺は前の部屋から引っ越しをした。部屋が少し広くなっているわけだ。二人でも充分住めるくらいにはな」
「えっと……」
「さて。モブ、訊こう。お前はどうしたい?」
やりきった、という顔で師匠はようやく口を止めた。やたらに凛々しい顔で僕を見つめてくる。が、正直マシンガンみたいな言葉の雨に頭がついていっていなかった。ええと、話の流れを整理すると、つまり……。
「つまりコイツはシゲオと暮らしたくてしょーがねーって言いたいらしいぞ」
隣を見るといつの間にかエクボがいた。なぜか呆れたような眼差しで師匠を見ている。師匠は嘘っぽい笑顔を返しながら『いつからいやがった』と低い声で呟いた。なるほど、そうか。師匠は僕と暮らしたい、ということなのか。
「あの、師匠」
「あっ?な、なんだ?」
エクボを睨みつけつづける師匠を呼ぶと慌てて開かれた口が上擦った声をあげた。机の上でその拳がぎゅっと握られている。帰ったら同居のことちゃんと調べないとなあ、と思いながら立ち上がろうと机に手をついたとき、ちょうどシャーペンが指に触れた。あ、そうだ。
「シャーペンの芯持ってませんか?」
「……今!?」

モブ霊(MP100)

「はい、実は……できました」
おいおいモブくん、返答が間違ってるぞ。そこは『いませんよ、相変わらず』と答えるところだろうが。近くの自販機で買った缶コーヒーを傾ける手も思わず止まる。『小綺麗になりやがって』なんて、『彼女でもできたか』なんて言わなきゃあよかった。
昼飯を食べに事務所の外へ出たら偶然モブに会ったのが事の始まりだった。半年ぶりに会うモブは前に会ったときよりも少し背が伸びたように思える。もう大学生だというのにまだ伸びるのかお前は、と小突いたら照れくさそうに口角を上げていた。ファッションもよくわからん猿のTシャツを着ていた頃とは比べ物にならないほど洗練されている。まあ、あれと比べたら大概のものはオシャレということになってしまうのだが。
「筋肉も昔と比べたらかなりついたよなあ」
「まだまだですよ。目標は力んだらシャツのボタンが弾け飛ぶぐらいになりたいんですけど……」
「それサイズ合ってねえだけだろ」
久々の軽口も楽しかった。話しながら少し歩いていると自販機があったので、ここは師匠が奢ってやろうと財布を取り出し好きなジュースを選ばせた。モブは、一番安いジュースのボタンを押した。
「ありがとうございます」
その直後にあの会話をした。まだ缶コーヒー開けたばかりだがいったん帰りたい。態勢を立て直したい。だってそういう返答は本当に一ミリも予想していなかった。
「ハハ。面白いもんだな。モブに彼女とは」
「僕もう大学生ですよ。そういうこともありますって」
そうだよな、と言おうとしたが『そう』までで声が引きつってしまい最後まで言えなかった。モブが怪訝そうな顔をこちらに向けてくる。そうだ、大学生なら彼女ぐらい当たり前だ。俺なんか中学の時には彼女いたもんな。揺らぐ視界をどうにか固定し、咳払いをひとつしてからモブに笑う。
「で、相手はどんな子なんだ」

好きだの嫌いだの、俺にはずいぶん遠い話になってしまった。彼女の惚気を嬉々として話したモブはジュースが空になったのを合図に帰っていった。時間としてはそう長くはなかったが、永遠を三度ほど繰り返したような気分だ。腕時計を見ると時刻はまだ昼時。さて何を食うか、と顔を上げる。ああモブを昼飯に誘えばよかった、と思ったがその思考は建前上だけで、実質的には確実に嘘だった。本当は話している最中に何度も考えていたが、わざと口に出さなかったのだ。……このあたりに会ったコンビニをふと探したが見渡す限りどこにもない。調味市も少しずつ色を変えてきている。その点、俺はなにひとつ変わっていない。気を使って安いジュースを買うモブに、彼女との交際の経緯を話すモブに温かい笑顔ひとつ作れなかった?
?俺の時間は29歳でぴたりと止まってしまったのかもしれない。もうきっと確認する術はないのだが。
ぐう、と腹の虫が鳴り意識が現実に戻った。ラーメンでも食うか、と思ったが余計みじめになりそうなのでやめた。

一左馬(ヒプマイ)

左馬刻さんの薄い唇にタバコの先が重なる。上下の仄かな赤がそれを少し雑に挟むと、口端からすう、と空気の吸い込まれる音が溢れた。タバコの先が炎の色に光る。左馬刻さんが作り出すいろいろな赤色を見てると、どうしてだか警告でもされてるような気分になる。唇を舐めるときに現れる舌だとか、たまに服や拳に付いている血だとか。今はタバコの先。燃えるそれは少しずつ、スローモーションみたいな速度で灰を作っていく。
「一本吸うか?」
「え?」
唐突にそう尋ねられて思わず間抜けな声を上げてしまった。口角を少しだけ持ちあげたその人はタバコから唇を離し、そこから白い煙を吐き出す。
「吸いてえんだろ」
左馬刻さんのいやに白くて長い指に挟まれたタバコはじっとこの人の唇を待っていた。羨ましいんだろ、と目の前の人は言う。少しだけ間を置いたあと、その赤い目を見据えた。
「いいっす。ばれたら面倒なんで」
「は。ガキも苦労してんな」
愉快そうに笑いながら左馬刻さんはまたタバコをくわえる。炎が光る。赤信号みたいに。渡ってはいけませんよ、と脳内ではもっともぶった大人の声。
「吸ったことは?」
「ないっす」
「吸ってみたくなんねえのか」
「あんまりすね」
目の前の人の視線がゆっくりと俺から外される。そして、つまんねえ嘘ついてんじゃねえぞ、とその口が笑いながら動いた。
「じゃあ何をそんなに見てんだ。欲しいんだろ、一郎くんよ。正直に言ってみろ」
薄い唇の赤。そこから濡れた舌の赤が現れて、唇を濃く色づけた。タバコの先には炎。赤信号、……俺は赤が色の中で一番好きだった。だから、欲しい、全部。喉から手が出るほど。
「言っていいんすか」
熱くなりはじめる自分の頬に気づかないふりをしながらつぶやく。左馬刻さんはやっぱり笑っている。その長い睫毛の下の、俺の一番欲しい赤は楽しげに細められた。
「いいに決まってんだろ。ここにはオトナもキョーダイもカミサマもいねーよ」
カレンダー
<< 2019年09月 >>
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30