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セトウツ(瀬戸内海)

燃えている。生まれてから今までずっと寝起きしてきた家が、数メートル先で。ごうごうとアホみたいに天へ伸びる炎に壊されていく。
感慨はなかった。後悔もそれほどには。それはそうやろ、今日まで俺はこの日のために生きてきた。姉の誕生日に家に火を放って。父を母を姉を、今までの自分を過去にする。ガソリンも眼鏡も毛布も全部これを見るための舞台装置。一酸化炭素が部屋中に充満して、美しい映像の中で家族はきっと苦しんで死んだだろう。そう頭で思っても克明な想像は出来なかった。ただただ他人事のような気持ちで、燃え盛る家を見つめる。
「内海!」
いま一番聴きたくない声、それが唐突に背後から響く。振り返るべきか迷った。消防車が何台も道に停まり赤いランプを回している。立ち去るか自然に出ていくか、何かしらの行動をしたほうがいい。そう思えど体がうまく動かない。もういちど内海、と名前を呼ばれて、仕方なく振り返ることにした。ついでに最低限の言葉を添える。
「瀬戸。ごめんな」
視線がかち合う。瀬戸は俺を丸い瞳で見つめた。それはすぐに火の粉の飛び交う家に向いて、そこで瀬戸は一瞬、ものすごく遠いものを見るような目をする。あ、今のたぶん一生忘れられへん。今日から毎日この目が夢に出るんやろうな。
「内海」
ぱっと視線を俺に戻した瀬戸がこっちに歩いてくる。胸ぐらでも掴まれるかと身構えたが、意外にもその手はただ俺の手を強く掴んだ。そのままぐいと引っ張られ、よろけるのもお構いなしに強引に前へと歩かされる。
「行こ」
「……えっ」
あんまりにもいつもどおりの喋り方でそうつぶやいたから戸惑ってしまう。雨降ってきたから橋の下行こ、とでも言うかのような気軽さだった。瀬戸は俺の手を引いて早歩きをする。降るのは水どころか火だ。俺がいったい何をしたか、こいつは分かっているはず。
「瀬戸、瀬戸」
離してや、という言葉でその背中を叩くが、瀬戸は返事をしない。いま瀬戸がどんな表情をしているのかまったく予想がつかず、すくむ足は頻繁にもつれた。
「瀬戸、はよ家帰って。このこと全部忘れろ」
「黙って歩けや」
ようやく響いた声にはこれでもかというほど怒気が孕まれていた。苛立ちは俺を掴む手の不必要なくらいの強さにも現れている。俺は瀬戸の言葉を無視し、続けざまに語りかけた。
「もうええよ瀬戸」
「あのな。自首しようと思う」
「父親と母親殺したら自由になるってずっと考えてた。でも今、自由とは思われへん。当たり前や、三人殺した」
「だから瀬戸、もう俺」
そこで、俺の言葉を遮るように『黙っとけ』と瀬戸が言った。少し抑えた声に乗る感情はこれまでの中で一等強い。瀬戸はいま本当に激しく怒っている。俺と、それから他の何かに。
「一人でいろいろ考えて全部自分だけで結論づけていくん、お前の最大にして最悪の欠点や。周りの人間がどう思うかってなんも考えへんのか。お前の勝手で、俺がどんだけ傷つくかとか、なあ。内海」
言いながら瀬戸がこっちに振り返る。頬に炎の橙色と消防車のランプの赤が薄く差し込んでいる。目尻の輪郭が少しだけゆがんでいた。俺は、と口にする声も、かすかに震えている。スーパースターにこんな顔をさせる俺は、もしや最大の脅威なんじゃないだろうか。きっと誰よりもお前に救われてきたのに。
「俺は、まだ明日もあさってもお前と喋りたい」
ぐ、と瀬戸が拳を握りしめる。すぐ近くの喧騒が異国のことみたいに思えた。俺の一等星。ヒーロー。今、その目の中に星は光っていない。……俺のせいで。
「内海。だから行こ。はやく」
瀬戸はまた前を向いて俺を引っ張った。振り解こうとしたがどうしても振り解けない。力強いねんお前。いや俺が弱いんか。もうどっちでもええわ、あほらしすぎて涙が出てくる。
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