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ホームズとミコトバ(大逆転)

 

「ああ、実にヒドい夢を見た! 得体の知れない巨大な何かがボクの体の上にのしかかってだな、口に大量のセッケンを捩じ込もうとしてくるのだよ、キミ! 必死に抵抗するんだがうまく動けなくてね。いやあ大変だった、ほら見てくれよこの寝汗」
そう言ってホームズは額に貼り付いた髪を指差したが、それを言うのであれば私の髭もペタリと湿っている。夜中に突然叩き起こされ倫敦の闇をひとしきり疾走させられては互いにこうなるのも無理はないだろう。月を背負うホームズの目が爛々と輝いている。
「まあ、ここまで走ればもう悪夢も振り切っただろう。キミに魔の手が伸びることもない。安心したまえ!」
「……それは有り難いですね」
苦笑する私に対して彼は得意気な顔を崩さない。彼の突飛には耐性があるので、私も今更そこまで苛立ちはしなかった。恐らく昨夜にアルカロイドでも呷ったのだろう。
物一つ喋らない倫敦の街で、ホームズの「恐ろしかった」という呟きだけがこだまする。彼は己の体を両手でさすりながら嘆息しているが、それを見ているうちにだんだんと笑いが込み上げてきてしまった。
「おいおい、薄情だねミコトバ。友人がこんなにも怯えているというのに」
「ああ、いや、すまない。……ところでホームズ、妖怪というものを知っていますか」
「ヨーカイ?」
なんだいそれは。そう言ってホームズは頭に疑問符を浮かべる。確かに我が国以外でこの概念は親しまれていないだろう。
「妖怪というのは日本で大昔から伝えられている民間信仰なのですがね。まあ、幽霊をもう少しデタラメにした存在とでもいいますか」
「幽霊よりデタラメ? ハハ、まるでボクだな」
「……ははは!」
告げようとしていた言葉を先回りで取られてしまい、思わずまた吹き出してしまう。
そうだ、そのとおり。今ここにいる彼は幽霊より、いや妖怪よりデタラメな男なのだ。出会い頭に握手をしただけで私の全てを突き止めてしまったかと思えば、はちゃめちゃな推理で周りの者を心ゆくまで翻弄する。今日のように突拍子のない行動を取るのも今に始まったことではなかった。しかし私はそのどれもを不快に思ったことなどないのだから、ああまったくデタラメだ。そんな男が肩を震わせ恐怖している姿は、彼の言うとおり薄情かもしれないが可笑しくて仕方がなかった。
「幽霊より妖怪より、キミが一番デタラメですよ。キミより恐ろしいものなどこの世にいないのだから、そんな悪夢くらい可愛いものじゃないですか」
笑いの余韻が残ったままそう話す。ホームズはしばらく目を丸くしながら私を見つめていたが、やがて上機嫌そうににこりと微笑んだ。
「いや、いや。それもそうだな相棒。この名探偵以上の脅威などこの世に存在しないというのに、いったいボクは何に怯えていたんだか!」
礼を言うよと呟くとホームズはその場でくるりとターンした。こめかみに浮かんだ汗は月の明かりに照らされかすかに光っている。もう帰りましょうか。放った言葉は夜に広く溶けていった。私に返ってくる視線は静かに肯定の色を示す。
「ミコトバ、くれぐれも隣に気をつけてくれよ。キミの相棒は化け物だからな」
「ハハ、取って食ったりでもする気ですか?」
「それもいいな! キミはウマそうだからなあ」



電気のモノノケダンスを聴きながらかいたことはかろうじて覚えている

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