龍アソ未完(大逆裁)

胸の谷間に酒を注いで客に呑ませる、という何とも下衆な楽しみ方が花街で流行しているらしい。亜双義は笑いながら、実に珍しくそんな猥談を繰り出してきた。動揺で軽く酒を吹き出すと汚いぞとまた笑う。顔にこそ出ていないがかなり酩酊していることが言動ではっきりと分かった。ぼくはまだそこまで酔ってはいない、はずだ。たぶん。
「キサマはどうだ、そういうのは」
向かいに座っていた亜双義はぼくの横へ移動すると乱暴に肩を組んだ。こいつ意外に絡み酒なのか、と思いながらそろそろと目を逸らす。まだ半分ほど残っている酒の水面を手持ち無沙汰に揺らしていると、突然耳にふうっと息を吹き掛けられた。ひい!と情けない声を出して倒れるように後退りをする。
「な、なっ、何を……!」
「まあ見ていろ」
ぼくが耳を擦って何とか感覚を忘れようとしている中、何故か亜双義はサスペンダーを両肩から落としシャツの釦を外し始める。行動の意図が少しも分からずただその様子を呆けながら見つめている間にその体がシャツすらも取り去った。と思えば、次になんと両手を使って胸を寄せ始めるのである。思考は完全に停止した。何なんだ、何をしているんだ、ぼくの親友は。
「成歩堂、注げ」
「……な、何を」
「酒だ」
口の中で声がひきつった。泥酔じゃないか、しかも明日接するのが気まずくなるような種類の酔い方じゃないか。というか酒が勿体ないし胸板が厚いとは言っても花街の女性程の谷間があるわけがないし、ああどの要素から手をつければいい?
「それとも下にするか?」
そう言って視線を下に向ける亜双義に慌てて「上で!」と返事をした。どうして食い気味にこんな宣言をしているんだと冷静に自分を鑑みるけれど、だって下だなんてあまりにも、あれだろう。とんでもないだろう。まあ上でもとんでもないのだが。
「はは、キサマもやる気じゃないか。では酒を注いでもらえるか」
やる気ではないよと訂正する気力すらない。首をガクンと縦に下ろして長い嘆息を拵えながら自分の杯を手に取った。ここまで来たらたぶん何を言っても聞いてはくれないと思う。たちの悪い酔っ払いとはたいていそういうものだ。どうか明日にはきれいさっぱり互いの記憶が消えていますように、そう願ってぼくは杯を傾けいったん空にしてからまた酒を注いだ。
畳を膝で擦りながら亜双義の目前にまで近付く。寄せられたことにより造られたほんの僅かな、些細でさりげない地帯をじっと見つめる。この酒を注いだあとは、ぼくの出番ということだよな。いや出番というのもおかしな話だが、まあつまりぼくが亜双義の胸板に溜まった(溜まるのだろうか?)酒を呑むということである。亜双義の体に顔を埋めて、である。……とてつもなく恥ずかしい。


俺とお前と出来心

ミヅクク(ポケモンSM)

「ミヅキもとうとうチャンピオンになったなあ、おめでとう!記念に何かプレゼントをさせてくれないかい?何でも好きなものを言ってくれ」
言ったら、ミヅキは微笑みを引っ込めて考え込むように俯いた。ひょっとしたら言いづらいものなのだろうか。「本当に何でもいいよ」と言葉を付け足してもその顔は上がらない。気を遣わせてしまっているかなあ、と少し反省しながら山の向こうに目を向けた。風がさわさわと凪いで心地が良い。ここでこの子と話したのも最近のことなのにずいぶん昔のことのように思えた。ポケモンリーグのことやポケモンとトレーナーに対しての思い、それを話したらこの子は笑ってくれたな。夕日に染まった頬をはっきりと覚えている。
「本当に何でもいいんですか?」
不意にミヅキがそう言ったので、慌てて視線を戻しながらもちろんと返す。彼女は唇を引き結び、ようやく顔を上げた。切羽詰まった様子でぼくを見ている。
「博士がいいです」
よく通る声だった。目がぼくを一心に捕らえて逸らされない。強い風が吹いて、彼女の少し伸びた髪の毛が揺れた。初めて会った日とは比べ物にならないほど大人びた、少女らしからぬ表情を浮かべている。子供の成長なんてあっという間だ。寝て夢を見て起きたら子供を辞めていた、そんな子だって少なくはない。その中で彼女は特にたくさん旅をしていろんな物を見ていろんな夢を見たのだ、大人にならないはずはなかった。ぼくはたぶんそれに一役買ってしまったのだろう。そういえばあの日、君は耳まで赤くなっていたっけ。
「私と浮気してくれませんか」

オステレ未完(TOB)

「あなたが好きです」
いつも任務で素泊まりするような宿とは比べ物にならないくらいの豪勢な一室で、お酒の入ったグラスを片手にオスカーは呟くように言い放った。彼は今日付けで20歳になったばかりで、お酒の味も今日初めて知ったところだ。「思っていたより美味しいです」なんて笑っているけれど、本当は背伸びをして余裕を見せているだけではないかしら。と、微笑ましい意地を弾む気持ちで見守っていたところで発された、本当に不意の一言だった。グラスの中で氷が崩れて、随分けたたましい音を立てる。どんな言葉をかけていいか、どんな顔をしていいか、何一つ分からなかった。今私は、この子の何であるべきなのか。理という重くて大きな一文字が頭を掠める。
オスカーはしばらくの間机の木目を視線で辿っていたけれど、やがてはっとしたように目を見開いて勢いよく顔を上げた。私の瞳を見つめる眼差しはばつが悪そうに瞬いている。姉上、と、上擦った声が私を呼んだ。
「すみません」
謝罪がひとつ。その後またすぐに、視線は落とされる。その手のグラスからは水滴が垂れて、机に点々と染みを作っていた。私はどうしてか、いえ、どうしても。場違いな感情、切ない気持ちばかりに苛まれる。
この子の想いは神にも理にも世界にも、何にも許されはしない。この子は、私だけは愛してはいけなかった。聡明な彼ならこんなことはとっくに分かっているはずで、だから言うのだ、「すみません」と。理がこの子をどれだけ苦しめてきたのだろう。今の今まで気づいてあげられなかったという事実が情けなくて、拳を強く握る。私はこの子のたった一人の姉だ。姉なのに。
何より許せないのは、私が弟の謝罪に安心を抱かなかったことだった。「好きです」というその一言でこんなにも胸を高鳴らせ、泣きそうなくらいに喜んでいることだった。今日この日に、こんなに豪華な宿に二人で泊まろうだなんて言われて、私はずっと浮かれてしまっていた。私はこの子の姉だ。二人の何よりも大切な繋がりを、私はその一言まで忘れてしまっていた。
「本当に、すみません。姉上」
絞り出すようにオスカーがまた謝罪を述べる。涙が溢れそうになるのを必死で堪えた。お願いもう謝らないで、夢を見てしまっていた私がすべて悪いのです、どうかもう謝らないで。いろんな言葉が頭を駆け巡ったけれど、何一つ口にすることは出来なかった。オスカーが何度か言葉を逡巡させてから、続きを紡ぐ。
「……もっと、きちんと言うつもりでした。指輪や花束も用意していたのですが、こんな唐突に……すみません」
「……えっ?」
予想外の台詞が聞こえて、俯いていた顔を上げる。向かいの弟はその可愛い顔を耳まで赤く染めていて、むずかしそうに眉間に皺を寄せていた。

モブぺご(P5)

「君、ちょっといいかな?」
振り向いた男子高校生の睫毛の淵が震える。怯えさせてしまっただろうか?いや、出来うる限り紳士然とした言い方を心がけられていたはずだ。
癖の強い黒髪、長い前髪にも関わらずさらに隠すように付けられた大きめの眼鏡の下で、こちらを見定めるような双鉾が動く。射貫くように私を見ている。猫のような少年だと思った。
「急に声をかけて済まなかったね。私はとある芸能事務所の者だ。まあこれはスカウトみたいなものだね」
名乗ろうとも彼が纏う警戒の色は薄まらない。むしろ、より濃くなったようにも見える。いちおうきちんとした身なりをしているつもりなんだが、やはり胡散臭いだろうか。
胸元から名刺を取りだし彼に渡そうとすると、閉じられていたその口がふいに開いた。
「何が目的でしょうか」
想像よりも低い声にさらに関心を抱いたが、問題は声ではなく内容だ。何が目的だ、だなんて凄い子供だ。警戒心を隠そうともしない。
別に私は彼が思うような怪しい輩ではない。ただ嘘はついている。彼はモデルに推すには随分地味だ。売れることはないだろう。ーー彼の魅力は分かるものにしか分からない。だからこれは、スカウトを口実にしたいわゆるナンパだ。……そう思うと、彼の思うとおり私は怪しい輩なのかも知れない。
「君と少し話がしたいんだが、お茶でもどうだろうか」
名刺を差し出し微笑む。彼は私の手をじっと見ていた。その目だ、それが良いと思う。私はその目に奥まで見定められたいのだ。
初めて彼を見たのは満員電車の中だった。彼は鞄をしっかりと抱きかかえ、一つの場所で縮こまっていた。抑圧や辛抱という言葉の似合う様子の彼は、何かに強く憤っている風に見えた。やけに反抗的な眼差しは彼を構成する他の全てとちぐはぐで、私は目が離せなくなってしまった。
それからだ、私は毎日彼のことをバレないように見つめていた。そして今日、ついにこうして声をかけるに至った。彼が泥のような目で私を見ている。大人しそうなその容姿からは想像もつかない程凶暴な瞳は、やはり私の胸を打った。間近で見るとますます分かる。
「すみません、遅刻するので」
やがて二人の間の静寂を打ち破り、彼はそう呟いた。ふいと後ろを向いて歩き出してしまう。追いかけようかと思ったが、鞄の中から急に猫が顔を出してこちらを威嚇したのに面食らい足を止めてしまった。それに、彼は全身すべてで私を拒絶していた。
私は押し寄せる後悔にじっと耐えていた。分かっていたことだ。彼に認識してもらいたいなどと考えることのおこがましさなど。それにこれではまるで犯罪だ。けれどそれでも、私は彼の視線を浴びたかった。きっとあの目に、すべて盗まれてしまったのだろう。
「おいリーダー、不気味な男だったな今の奴。警察の関係者じゃないよな?」
「うん、多分違う」
「何だったんだろうな」

龍アソ未完(大逆裁)

「じきに夜だ」
そう言って洋箪笥を開けた亜双義は、ぼくを静かに見下ろしていた。急に入った光が眩しくて、表情がよく見えない。目を細めながら頷いて、先刻まで閉じていた目をゆるく擦った。
「寝ていたのか」
「まあ、少しだけ。やることもないしね」
小さく笑いながら腕を伸ばす。亜双義は黙りこくって、ふいと頬を横に向けた。
「済まない。キサマにはずいぶん無理を強いている」
「……あっ、いやいや、そういうつもりで言ったわけでは」
ないんだけど、と慌てて言うものの言葉尻をすぼめてしまった。参った、寝起きで頭が働いていない。亜双義の口元が数回迷うように動いて、やがて「成歩堂」とぼくの名前を呼んだ。
「後しばらくはこういった生活が続くだろう。……オレについて来たことを、後悔はしていないか」
唐突に殊勝な言葉を投げられて、ずいぶん驚いてしまった。楽しげにぼくを洋鞄に詰めていた姿が偽りだったようだ。光の隠れた眼差しをぼくに一心に向ける姿は迷い子のようだった。ーーああでも、こいつはたまにこういう目をする。
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