※ハルちゃんが死んでます
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七瀬遙、と深く刻まれた墓石の前で、俺はそっと立ち止まった。年が経つたびに少しずつくすんでいくその表面をじっと眺める。バケツいっぱいに入れた水をすくって、それを墓石に浴びせていった。石を垂れていく水の軌跡が、ハルの湿った頬を流れていくあれらを連想させる。あの頃のように、ハルは今も水が好きなのだろうか。久々に浴びる水を喜んでくれているだろうか。水を垂らし墓石を磨きながら、この石の下にいる彼を想う。制服が汗で張り付く感じがした。彼女にもらった腕時計が午後3時を差している。年月は、かくも残酷でしかない。
「なかなか来れなくてごめんね、ハル」
ハルは2年前、海の中で命を落とした。俺たちが高校1年生になった、すぐ翌日のことだった。ハルがいなくなった直後は何も考えられなくてただ無為に過ごしていただけだったけれど、2年にあがったある日、渚に水泳部に誘われた。そのままあの勢いに乗せられて部長なんてものになってしまい、さらに新入部員とマネージャーも加わった。ハルがいなくても、まるで当たり前に世界は動いていく。けれど俺はいつまで経っても、ハルがいないという違和感を拭いきれなかった。彼女もできたけれど、うまく愛せているのかどうかわからない。
「ハルは2年間、どうだった?」
「ここにずっといて、やっぱり窮屈?」
「ごめん、こんな水しかなくて」
蝉が騒がしい。山の中、水は今流れるこのいくらかしか存在しない。ハルはきっとこんなところから出て、海に還りたいはずだ。
「ちょっと涼しくなった?」
「きれいになったよ」
「…ハルは変わらないね」
「眼鏡装着後の時間経過が及ぼす眼鏡の標準のずれへのパターン別対処法について話をしよう」
研究所の地下に小さく設けられた二人のスペース内にある簡易ベッドに腰掛けた休憩中のアステルは、俺を見てなんとも急にそう切り出した。精霊について巡らせていた思考をいったん停止し、研究者特有の回りくどい表現を同じ研究者の持つ翻訳スキルを用いて紐解いてみる。結果、意図がいまいち汲み取れず思わず眉を寄せた。なによりもこいつはいつも唐突がすぎる。アステルは俺の様子からこの困惑を感じ取ったらしく、照れ笑いを浮かべながら実は、と聞いてもいない語りを開始した。
「昔から、眼鏡をかけてる人がずれた眼鏡をかけ直す仕草にどきっとするんだよね。フェティシズムってやつかな?」
「……その手の話題か」
リヒターさんもリリーナも眼鏡だからアステル=眼鏡フェチの可能性ありかなという話