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堂島さんちの彼、あいつって人間のふりをしている。ほんとうはポンコツのマシンなのにね。初めて会ったときの、俺を見ようと視線を動かした奴から派手に鳴り響いた機械音はたぶんこの先も忘れはしない。他のお仲間たちにはバレていないようだけれど、僕から見れば人間としての君はかなり不出来なまがいものだよ。何に対してもぎこちなくて、すべて不気味なくらい完璧すぎる。油をさし忘れているんじゃないかなんていう余計な心配をしてしまうほどにね。どうして彼とさほど関わりもない僕がこんなことに感づいているのかというと、まあ単純な話、僕も彼と同じなのだ。ウィーンガシャンと音を立てて動くロボット。
「もし僕が死んじゃったらどうする?」
なつき、って余裕なく漏らされる吐息に似た囁きは、着実に俺の思考回路をぐちゃぐちゃと混線させていく。触れてくる手はどこまでも炎みたいに熱くて、燃えてしまうんじゃないかなんていうばかな錯覚まで起こし始めた。もうなんだかへんに胸がいっぱいで、いっぱいいっぱいで、うまく言葉を見つけることができない。じっと俺を捕らえて離さない瞳が確かな情を孕んでいることだとか、そのすこし強張った表情が決意していることの意味だとか、いまここには、ユキの家には誰もひとがいないことだとか。そういうものばかりが頭を掠め、なんだか妙に照れくさく、ユキの顔を見るだけでわりと精一杯な自分がひどく格好悪く思えた。ふとユキが何かを言おうとして、しかし戸惑うように口ごもったかと思えばすこし視線を泳がせる。やがてかちりとまた俺の網膜を燃やして、熱に浮かされたまま紡いだ。
水族館という世界に触れるとき、魚が可哀想だという場にそぐわない感性を思考がからめ取るときがある。きれいな魚たちは回ったり跳んだりしてたくさんの生を俺たちに魅せるけれど、その生の範囲って人間によって限界まで狭められている。見せ物みたいに展示されて、ぶつかりかけながら箱のような庭を遊泳してさ。あのガラスの中から見たこちら側は彼らの目にどう映っているんだろう。そう俺は考えてしまうけれど、あいつらってなかなかどうして楽しそうに定められた世界を回っているときがある。可哀想だなんて大層な戯れ言を振りかざした俺にとって、それは不思議の対象だったのだ。なあ、おまえらってどうしてそんなに自由なふりが得意なんだよ。