話題:読書

金原ひとみのエッセイ「パリの砂漠、東京の蜃気楼」を読んだ。小説はいくつも読んできたがエッセイを読むのははじめて。たまに読むインタビューよりもたくさんの金原ひとみ自身のことを知れるなんて贅沢すぎる。昔から金原ひとみは買って読んでいる作家さんで、綿矢りさも途中までは買っていたけれど途中からやめてしまったのは、あたしのなかで綿矢りさとの価値観が変わってしまったからだろう。ちょうど、私をくいとめて辺りから。金原ひとみも一時期は読んでいてわからないなと思うこともあって、もう前のような蛇にピアスやオートフィクションのようなものを読めないのだろうかと思ったときに読んだ軽薄のうれしさ。どの作品もすきだけれど、軽薄は上位に君臨するほどにすきになり何度も読んでいる。金原ひとみ自身、結婚や子育てとあたしとは環境もちがうし、そういうなかで生み出すことばに共感ができなくなるのは仕方ないのだと思っていた。けれど、金原ひとみの価値観や芯のブレなさについていきたいと思っていたし、今もなおファンである大きな理由はそのふたつだとも思っている。それはエッセイを読んでから深く感じたことで、環境も経歴も容姿も趣味もちがうのに考えることが似ているという勝手な共感。いつまでも考え方が若いというか歳をとらない。重ねたことで経験したこともあるけれど芯はブレない。いつまでもピアスを開けるし、鬱になる。そんな金原ひとみの絶望しながら生きているところに惹かれる。

一冊まるごとのエッセイは読みごたえがあり、金原ひとみという人物をすこし知れた気がした。子育てしながら仕事をしお酒を飲み鬱になる。今まで読んできた小説のなかにいた主人公たちに似ていた。十年近く、作品を読んでいてはじめて知った。金原ひとみに共感し惹かれる理由を。子育てで手一杯のときに執筆した小説と一段落したあとの小説のちがいは金原ひとみ自身が子どもを生む前の状態に戻ったからという感覚があったから。だから、軽薄辺りから前に戻ったような感覚がしたのだろう。金原ひとみ自身のなかでも変化があった。子育てをしながらも母親すぎないけれどその母親らしさが金原ひとみらしいなと思った。フェスによく行き、音楽に依存してしまうのもよくわかるし、聴いている曲やバンドが気になった。そして、恋愛をだいじにしているところ。崇拝的に祈るように恋愛を軸に生きているところは金原ひとみらしい。読む前に予感していた、金原ひとみをさらにすきになるだろうというのは予感よりもずっと当たり前で、すきになった。