昨日はお昼過ぎに起きて、買い物や用事で出掛け、病院から出してもらった漢方薬がきれたのでドラッグストアで探したら見つからず、家に帰ってAmazonのアプリで探したらあった!ネットはやっぱり便利だわ(笑)。処方箋の漢方薬が七日分しか出されていなかったのである。これからは歩き疲れる前にAmazonかヤホーで探すべきですな。
 この頃は日に日に寒くなり、いよいよニットを着始めた。兄にファンヒーターを出してもらいたいが、灯油も高いですからなあ。私は一年中、下半身だけ冷たいので足だけでも暖めたい。例年ではどんなに頑張っても11月にコタツが必要になるが、今年は紅葉のスピードも半端ないので早まりそうだ。

 あれは十月だったか九月だったか記憶が定かではないが、今ぐらいの寒さの秋の夜、夜遅くまで両親と兄姉たちが蚕室(養蚕小屋)にいることが多く、家で私とミーコというおじいちゃん猫と二人でテレビを観る夜が淋しくてたまらなかった。夕ご飯は何時になるかわからない。作業は日をまたぐこともあってタモリさんの『今夜は最高!』やちょっとお色気な番組『トゥナイトU』や『11PM』が始まっても誰も戻ってこなくて焦ったこともあった。年内最後のお蚕様の世話で父は蚕室の温度次第でお手製の薪ストーブを焚いたりして一晩中眠れない。母は体調次第では床に伏せていたから、会社から帰宅したばかりの兄姉たちの助っ人は有難かっただろう。桑の葉を枝ごとお蚕様のいる台に置いて餌やりしたり糞の始末をしたり、繭ができる頃は吊るした枠を外して繭抜きしたりとすべてが重労働。『ザ・ベストテン』が終わる頃になって長姉だけが戻ってきて手早く夕食とお風呂の支度をする。私はまだちゃんと立って歩けなかったので一人でトイレに行けなかった頃だから五歳ぐらいの出来事だろう。
 やがて蚕室の明かりが少し減るとみんなが戻ってきて夕食を食べるのだが、私は眠くなっていつの間にかお布団で寝ているのだ。膝下に寝るときだけ付けていた装具のひんやりした感じもなぜか気持ちがよく深い眠りに入っていく。夜中に目を覚ますと、チイ姉が当時お熱だったチー様こと松山千春さんのラジオを聴きながら受験勉強していたりして、わが家の懐かしい光景が胸を打つ(チー様がまだロン毛だった頃の写真集をチイ姉が今も大切に持っててちょっと笑っちゃうけどさ!)。何よりも両親が生きていて姉たちもまだお嫁に行っていないという状況自体が私を泣かせる。もうタイムスリップしたいっ!(笑)
 あの頃は両親は近くて遠い存在だった。子どもの頃はほとんど両親と話した記憶がなく、長姉がお母さんのように面倒を見てくれてた。父は他人にはいつも親切で冗談を言って笑わせるのにいつも家族には機嫌が悪く接し、私が近づきようものなら「あっちいってろ!」と怒鳴りかけるし、母は足が痛いだのなんだので具合が悪く抱っこすらしてくれない。たまに機嫌がいい日は古い童謡を歌ってくれたり、私のほっぺをチュウチュウしながら色々な話をしてくれるのだがやはり抱っこはしてくれなかったと記憶している。そういえば、父にも抱っこはされたことがなかったと思う。転んだとき助けてくれるくらいで手も握ったことは無かった。寝るとき父と母の間で寝ると、お布団の境目で冷たいから姉たちと一緒に寝るようになった。あの当時で両親は五十歳ぐらいだったから孫みたいな末っ子は色々面倒だったのかもしれない。
 もっと早く生まれてたら両親ともっと一緒に居られたのにな、と亡くなってからずっと思っている。父と色々話せるようになったのは亡くなる数年前からだし、母と女同士の話ももっとしたかった…悔やむのもキリがないね。









たくさんの拍手ありがとうございました!無事予定通り戻って参りました。

>>じゃん
仕分けが得意…ぜひオラの部屋の物を仕分けてほしい(笑)
何でも取っておくから困ってる(;^_^A