話題:突発的文章・物語・詩

 世界など、本当はどうでもよかったんだ。

 その頃、僕は全ての者から救世主だと崇め讃えられてた。奇跡を起こす存在だと、世界で一番高い塔の真っ白な部屋に大量の本と共に閉じ込められていた。時折、世話係だという人間がやって来たけど、奴らは僕を人間扱いはしなかった。
 その頃の僕は、それすらわからずにただ望まれるままに願いを叶え、希望を叶え、奇跡と呼ばれる事を起こして、それだけだった。

 ある日、知らない顔の人間が人目を忍ぶ様に部屋へとやって来た。そいつは自分の事を「ただの泥棒」だと名乗った。そいつの目的は僕だった。その日、世界を救う為の救世主は姿を消した。

 僕の手を引くそいつは不意に「あんた名前は?」と首を傾げた。僕にそんなものはなかった。首を横にふるとそいつは大きな耳をピコピコと動かしながら困った様な顔した。暫く頭を傾げながら唸ったそいつは突然「よし!」と大きな声を上げて僕にその言葉を告げた。それからそれが、僕の名前となった。

 そいつは『リズ』と名乗った。大きな猫の耳と尻尾を生やした、綺麗な赤い髪をした人間だった。
 リズは僕に色々な事を教えてくれた。どれも教本には載っていない様な、だけど人間なら当たり前の様に知っている様なものだったらしい。リズと共に過ごし、色々な国や物を見ながら旅をしいく内に、少しずつ僕の中で何か変化が起こっていた。まだそれが何か迄はわからなかったけれど。なんとなく、この日が続けば良いと神とは違う何かに願った。

 そこは、戦場になっていた。僕の行方を追っていた奴らがついにやって来た。戦う術は誰に習う迄もなく知っていた。思えば、これが本来の僕の役目だったのかも知れない。リズと二人、武装した追ってからの逃亡劇が始まった。
 そしてそれは、彼女の腹から刃が突き出した時に終わった。崩れ落ちる華奢な体を支え、治癒の術を唱えようとした僕を止め、彼女は笑って「逃げなさい」と言った。

「あなたは生きなければいけないから」

 その言葉を最期にリズは動かなくなった。それからの記憶は余り覚えてはいない。気がついた時には周囲には無数の死体と夥しい血で真っ赤になっていた。彼女の綺麗な髪とは遠い、どす黒い赤だった。
 彼女と過ごした全てが走馬灯の様に走り、そしてもう二度とそれが叶わないと知った僕はその日初めて涙を流した。
 空は、静かに泣いていた。

 ある時、世界が戦火に包まれた。いつか訪れると云われていた厄災がついに姿を現した。人間共が僕を救世主と呼ぶのは、僕がそれを払う為に現れると予言されていたからだった。
 彼女の遺したナイフを握り締め、僕はそれに立ち向かった。彼女の愛した世界を、彼女と過ごした世界を壊されるのは嫌だったから。持てる力の全てを賭けて、希望と呼ばれる光と共に僕はそれに飛び込み、そして――弾かれた。
 それが、最期の記憶。



 不意に目を覚ました僕に声をかけたのは険しい表情をした少年だった。なんでも、近くの森で倒れていたのを見つけて連れ帰ったそうだ。
 無様にも、生きながらえたらしい事に内心自嘲した。「お前、名前は?」少年の問いに僕は少し考えて、こう言った。

「     」

 沈黙する者。
 彼女と共にあった僕の全てはこの心の内に。やがて僕は知ることになる。己が身に刻まれた呪いと、その絶望を。
 それはまだ、遠くない未来の話。