* 116
「――それもう、いらないから、あげる」
無機質に響いたリーサの声と、投げつけられたリーサの左腕が、相手に直撃した瞬間何かに弾かれたように爆発する。その風圧に目をつぶった私は、同時に私の身体を包んだ温もりにハッと目を見開いた。
「…っ、ルカ!」
「…これまた派手にやりましたね…」
私を抱えて一瞬でリーサとアンナさんから距離を取ったルカは、恐らく魔法で現れたのだろう。二人の様子を見つめながら「ようやく出てきたか」とアンナさんを見て顔を顰めた。
どうやら二人の中ではもう王宮の事件の犯人はほとんどわかっていたらしかった。冷静な様子のルカは私を抱え直すと、私に怪我がないのだけを目視で確認して、もう一度二人に視線を向けた。
「いい事教えてあげるよお、」
「…ッ、」
「アンタが今奪ったと思っただろう私の左腕は、そもそも最初から偽物だし、アンタが言う地獄ってやつを、私はアンタに見せられるでもなくもうすでに、この王宮で嫌ってほどみたんだよ」
「な、ん、」
「『私』を知ってるお前なら言った意味が分かるだろ?当時お前らと同じ闇で生きた私が、この王宮で死よりも最悪な地獄を見た。だから今私はここにいるし、お前が私を恨む理由にもなってる。けどね、」
「――ッ、」
「その私を殺す為に、この場所を壊すっていうなら、私はお前を今すぐ殺さなきゃいけないんだ。わかる?」
左の、腕。リーサ自身によって肩から無惨にひきちぎられたそこからは、血の一滴も流れ落ちない。まるで最初から腕なんてなかったかのように、痛みすら訴えないリーサは冷えた声で相手に言葉を投げると、一歩そこから前に出た。
「――やっと見つけたんだ。誰にもここは破壊させない」
リーサの足下が光る。そこから伸びた影のような何かが一瞬にして相手の身体を絡めとり、拘束する。ずるずると足下に広がった黒い魔法陣の中に引きずり込まれる様を、無言で見下ろすリーサは悲鳴の一つもあげられずに、そこへ消えて行く姿に静かに口を開いた。
「事情は後で嫌になるほど聞いてあげるね」
ヒュン、と微かな音を立ててその魔法陣へと飲み込まれた姿を見届けて、静かにこちらを振り返ったリーサに、ルカが「リーサ」とその名前を呼んだ。
「シノちゃん、怪我は?」
「…な、ない…けど、」
「そっか。よかった。ごめんね、危ない目に逢わせて」
「…ううん。…それより、リーサ、」
「ああ、…腕?腕はね、元々義手なんだよ。だから気にしないで。それじゃあ、私あいつを取り調べしてくるねえ」
「リーサ。ほどほどに。あとちゃんとこちらに報告をしてくださいよ」
「やだなあ、わかってますよお。殺しはしないって。やりすぎちゃうかもしれないけど」
にっこりわらってルカに返事をしたリーサが、そこから静かに姿を消す。それを見送って、あっという間になにがなんだかわからぬまま片付いてしまった事件に、私はそっと床に下ろされながら唖然とルカを見上げた。
その視線に肩をすくめたルカは「後は任せましょう」と小さく呟く。
「…リーサの、腕、」
「…義手なのは本当ですよ」
私の手を引いて歩き出したルカは「部屋に戻って軽く説明します」と言葉を続けて一度私を振り返って「大丈夫ですか?」と首をかしげた。
「…え、っと?」
「いきなり事件に巻き込まれて疲れていませんか?リーサの取り調べも恐らく数日かかるでしょうし、今すぐ話をというわけではないので…このまま今日は仕事を切り上げて部屋で休みましょうか」
「あ、うんと…疲れてはいない。ルカがいいなら、話はききたい…かも」
「……、そうですか」
それじゃあ部屋に戻りましょう、と再び歩き出したルカについて自分の足下を見つめる。一瞬の事でよく把握していないが、要約すればつまりここ最近の王宮の事件は全部アンナさんの仕業で、そしてあのリーサと対峙した口ぶりから、狙いはリーサだった。
更にわかったのは、あの二人はずっと昔から知り合いで、アンナさんは、リーサを恨んでいた。その手段として私に危害を加えるという手をとったところを、リーサは待ち構えていた、ということだろう。
そこまではわかる。わからないのは、どうしてリーサが恨まれなければならなかったか、だ。
手を引かれて戻って来た部屋の中、促されるままに椅子にすわると、ルカは少し待っているようにいいつけて給湯室へと消えて行った。疲労感はないけれど、混乱はしているらしい私はその様子をぼうっと見つめて、暫く無心で窓の外を見ていた。
リーサの左腕。恨み。魔法と、過去。ラムと同じで、きっとこの王宮の人達は、私の予想を遥かに超えるような、辛い世界を生きて来たのだ。そのうちの一人だったとしたら、あの凍えるような視線の先に、私を見た悲しそうな瞳の意味は、なんだろうか。
ただ何も言わず、その手を掴みたいと思ったのは、間違いなのだろうか。
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