潜航少年 01






俺の名前は碓氷晴真。うすい、はるま。真実に晴れる。

昔、小学生の頃に自分の名前の意味を調べましょうという課題が出た時に、俺の幼馴染みは俺の名前を見て、俺は明るみの下でしか生きられない人だと言った。

それを本人はきっとすっかり忘れているだろうが。

そんな俺とは真逆の、長く続く夜という意味の名前を持つ彼女は、まるで宿命であるかのようにその頃から暗がりでひっそりと息をし始めたように思う。

悠久の夜。それはもう産まれてから今の今まで。当たり前にとなりに居た存在は、徐々に徐々に、深い暗闇へと沈んでいった。

俺はただそれを追うように、見続けていた。


「――晴真、おはよう。」

「おはよう悠夜。」

「スーツが無駄に似合うね。もう社会人になったら?」

「お前は何を言っている。」


そんな、問題しか抱えていなかった幼馴染み。一時期はどうなるかと思ったこともあったが、それも一応は乗り越えた、という事にしておこう。

問題の幼馴染みである三条悠夜は、今日から俺と同じ、大学生。結局、幼稚園、小学校から大学までを同じ場所で過ごすことになった。

そしてこの悠夜という問題児を託す事を俺が決めた人間が、もちろんいるわけで。


「悠夜置いてかないでよー。碓氷君おはよう。」

「成宮、おはよう。」

「尊、そのスーツは特注ですか?」

「裾だけ直してもらったけど、違うよ。ていうか悠夜スーツじゃないの?」

「お金ないからねえ。」

「頑に拒んだ奴がよく言うな。」


悠夜の後ろから小走りで近づいて来たひときわ目立つ頭と、身長を持つそいつ。成宮尊の姿を確認して、俺は思わず小さく溜め息をついた。

今日は、大学の入学式だ。俺と成宮、それからここには居ないが矢野亮介という人間は、この大学から、俺らの高校へと出されていたスポーツ推薦の枠を通って来た。

悠夜だけは唯一学力での推薦を貰ったわけだが。ともかく、この成宮尊という男が、今は悠夜の世話をしている。

と、本人に言うと多分怒るだろうが。


「ねえねえ、そういえば悠夜って学部どこなの?」

「どこだったかな〜」

「ちょっと!当日になったら教えてくれるって言ったじゃん!」

「別にどこでもよくね?同じ大学にいるんだし。」

「大学内で会わない可能性があったらどうするの!?」

「どうもしないけど。」

「ええー!?やだよ俺、万が一、ひとつも授業被らないとかいう事態になったら困る…!」

「言うと思ったから教えたくない。」

「お前ら、相変わらず妙な関係だな。」

「これでも付き合ってるんですけど何か可笑しいと思うよね!?碓氷君もそう思うよね!?」


必死に俺に同意を求めてくる成宮が段々哀れになってくる。学部くらい教えてやればいいものを。まあ、教えたら教えたで、いろいろ騒ぎそうだが。


「で、結局どこなの?」

「俺の予想ではスポーツじゃなけりゃ、栄養だな!」

「…あれ?」

「なんか一人多いな。」

「3人ともおはー!俺だけ仲間はずれとか相変わらずひどい事すんな!そこの幼馴染み組!」

「そもそも私と晴真もここで合流しただけだし、尊に至っては勝手について来ていただけだが。矢野君、おはよう。」


いつの間にか、俺らの中に入っていた矢野の声が聞こえて、全員の動きが停止したと同時に、いつもの用に会話が繰り広げられる。それにしても、なかなか鋭い予想をしたんだが、誰も突っ込まないのか。


「で、どうなん?」

「何が?」

「栄養学部じゃなねーの?まさかスポーツできたわけじゃねーだろ?お前なら行けそうだけど。」

「はいはい正解正解。正解したから死んでください。」

「なんで!?」


余計な事しやがって、といいたけに矢野を見ている悠夜と、矢野の登場で欲しい答えを得られた成宮は「栄養か〜」と一人で何かを考えている。

相変わらずこいつらは自由だ。集団で話してるように見えて、実は個人で全く別の事を考えている。くせして、会話がかみ合うところがまず可笑しい。

それもこれも一重に悪いのはこのすべてをかき乱している悠夜だと思っているが。

まあ、答えを得られた成宮が、本来の悠夜の目的に気づく事が出来ればそれがよかったのだが、あの様子だとそれもなさそうだ。


「成宮のためだと言ってやったらどうなんだ。」

「いや、別に奴のためではないし。」

「そうか。今日の帰りは寄るところがあるから先に帰るなよ。」

「挨拶に行くの?」

「ああ。その予定だ。」


ともあれ。俺らはバスケでこの学校に来ている。もちろん悠夜も例外ではない。学部と専攻は違えど、元々悠夜をコーチとして引き抜くことでこの大学にも話が通っているのだから。


「お前、サークルには入らないのか?」

「自分がコーチとして引き抜こうとしているのに意味の分からない質問をしていますね。」

「別に、両立くらいできるだろう。」

「それよりバイトしたいなー」

「なるほどな。バスケはやらないのか。」

「お前らの相手で精一杯だ。」


ムリムリといって手を振る悠夜に俺はそれ以上何も言わない。昔とは違う。単純に自分がバスケをするよりも俺らを選んだという意味だ。

昔は自分が続けたくとも、続けられなかった理由があった所為で、悠夜は中学の途中で自らが選手としてバスケをやることをやめてしまった。

部活といっても道具や節々でいろいろな資金がかかるのも事実。両親を亡くした悠夜がたとえ中学の部活であろうとそれを続けるのは不可能に近かった。

まあ、続けると言えばうちの親がどうにかしただろうが、既に彼女にその意思はなかったのだ、あの頃。

それは当時の顧問も学校側もひどく惜しい人材を逃したと思っていただろうが、こればかりはしょうがないということで。

それでもバスケという彼女の持ってうまれた才能を腐らせないようにと結局高校でもちょこちょこと手伝わせていたのは、完全に俺一人の考えでしかなかったが。


「それじゃあ、俺は打ち合わせがあるから先に行くぞ。」

「うん。あとでね。」

「ああ。あの二人を頼むぞ。」

「遠慮する。」


遠慮する場面ではない。

ともあれ、俺は新入生代表の挨拶があるので打ち合わせにいく事にする。そんな俺を見て「どこ行くの?」と問いかけている成宮と説明をしている。

高校で悠夜をバスケ部に引っ張っていたのは、当初は俺個人の都合だったが、結果的に見てよかったと今は思う。

成宮の才能と、悠夜の心。思わぬものがついでにつれたのだから、儲け物だ。

こんな事を話したらきっと本人は怒るだろうが。


「おや、こんなところで何をしているのかな?しょーうねんっ!」


そんな事を考えて歩いていると、突然後ろからかけられた声に俺は静かに振り返る。そこに立っていた見慣れない女の人に俺は表情を変えないままその人と視線を合わせた。


「あ、もしかして新入生代表?」

「そうです。」

「そっかそっか!きっちり10分前とは素晴らしい!私は案内役の余呉葵、2年です。よろしく。」

「碓氷晴真です。よろしくお願いします。」

「いやー噂には聞いてたけど、大きいねえ。さすがバスケ専攻。あの堅物監督がどうしても引き抜きたい人が居るって言ってたけど、バスケも上手いんだってねえ〜」

「そんな話まで流れてるんですか。」

「有名だよ〜。あ、ちなみに私も一応バスケ専攻の人達のマネージャーみたいなのやってて、ちょろっとだけ関わってるの。そっちでも是非よろしくね。」


ニコニコ笑ってそう挨拶してくれたその人は、よごあおい、さんというらしい。2年生、一つ上だ。

珍しい名字だな、と自分を棚に上げて思いつつ「打ち合わせ場所はこっちです」と案内してくれる彼女についていく。

その背中を見つめながら、この人は随分小柄だなと思う。

うちの悠夜も身長160にしては体重がそりゃあもう馬鹿みたいに軽いから小柄に見えるのだが、この人はそもそも身長が小さい。150台前半くらいだろうか。

世の中にはもっと小さい人がいるから、どうこう言える話じゃないけど、バスケをやっているにしては大きい方ではない俺が小さいと思うくらいだ。

あまり小さ人を相手にしていると、柄にもなく少しだけ不安になってくる。人間はこんなに小さくても、どんなに軽くてもちゃんと生きていけるのだろうかと。

ああ、これは、一種のコンプレックスなのかもしれない。

ずっと傍で、問題ばかりを抱えていた幼馴染みを見て来たが故の。


「晴真って、真実に晴れるって書くんだね。」

「え?…ああ、そうですね。」

「なんか少しイメージとあわなくてびっくりする。君はもう少し、沈んだところに居る目をしてるね。何かよくない事でもあった?」

「…え?」


なにを、言っているんだろう。

よくわからない事を言って来た余呉先輩に、思わず眉を顰めると、彼女は「違うなら気にしないでー」とさっきのように気の抜けた笑顔で笑った。

沈んだところ。それは、一体どこに。


「誰よりも光を浴びて生きていきそうな雰囲気があるのにね。」


澄み切った大空。その青を背に、振り返った彼女の言葉の意味が、いまいち理解出来ない。

そんな不思議な先輩と出会ったのが、今日この日。あらたな場所への一歩を踏み出したときだった。










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