先日久しぶりに整体施術をした。

受けた相手は氣のことなど関心は無く、このブログで書くようなゴタクも当然興味など無いとおもわれる。
でもそれで全然かまわない。オーケーだ。

知識信心は要らない。たんに身をゆだねられるなら、アトはなるようになるのです。


ボディワークだって、ワークなんてしなくたっていいのである。
たとえば肥田式の「瞳孔のフゲイ」 これはつまり眼をどうにかせよと言っているのではない。眼は何にもしなくていいと言っているのです。ちなみに瞳孔のフゲイは、耳を澄ますことにより勝手に叶います。耳は普段、非常に無意識的に思考に支配されます。耳を澄ますとは、能動的に受動になるということです。眉間のリキミもとれて上丹田が開きます。即ち両目は休んでサードアイが活性するというわけさ。

だから身体もまた、澄ませばいい。
随意筋で、交感神経優位の興奮状態で武道やボディワークをする達人は、いない。随意筋で腰を反ったってそれはただのポーズです。


身体の不具合は整体の技によって治癒するのではない。技を受ける時点で治癒は始まる。技はたんなるキッカケ。そして本格的に治癒が起きていくのは、そのあとの、「何もしていないとき」である。私も受ける人も何も、して、いない、とき、である。


「正中心」だって、知識信心しないほうがよい。正中心なんてほんとうは無いかもしれないじゃないですか。身体を澄ませて、その答えは自身が出すべきです。


ちと長くなりました。身をゆだねて整体をうけたその人は、なるようになって、快方へ向かいましたとさ。おしまい。