ファジー理論

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2019.6.11 03:21 [Tue]
一人ぼっちみたいでイキグルシイ



こんばんは。お久しぶりです。
アサイです。

ここでの自分の名前も一瞬忘れてしまいそうなぐらい時間が経ってしまいました。



眠いので単刀直入に言います。


13日、会社の面接を受けてきます。
デザイン系の会社です。



職業訓練が終わり、
3ヶ月ほどなにもせずに過ごしていました。


日々、自分の内面と対話して
落ち込んで泣いて
という時間を繰り返していました。


止まっていました。


応募書類を書きながら
前職や自分の人生までをも振り返り
忘れていたものを見つけたり、
泣いたり、堕ちたりしていました。



ただ、わたしは



“積み上げて”きたのだな、と
そう思います。



“生き方”として見れば
様々な生き方があって
べつに正社員にこだわる必要なんて
どこにもないけど

やっぱりわたしは
どこか引っかかっている。


今までそれをして来なかった自分に
どこか引っかかっている。


もしかしたら強迫的な観念なのかも
知れません。


でも多分やらないと後悔すると
思いました。


挑戦だけでもしてみます。



怖いし、自信はないけど
拙い応募書類を見て
こんなわたしと会ってみたいと思ってくれた人たちと
話をしてきます。


それくらいの力加減で。



なにも変えられず
ベッドに横たわり
このまま死んでいくんだと、
本気で思っていたあのときから
7年が経とうとしています。



7年間、長かった。


家を出てから今年で
4年が経とうとしています。


変えられず苦しんでいた日々を
超えようとしています。



今はべつな意味で苦しいです。


わたしはわたしの中にある“光”を
なかなか信じてあげることが出来ません。


光を信じる心を
育んでもらうことが出来ませんでした。



自信のなさは、多分ここから来ているのだと
思います。



「自分を責めることは
とても簡単で、楽なことで


そこらか
自分を起こして
踏ん張って立っていることのほうが
よっぽど難しい。」


そんなことに気づきました。


暗い場所に
引き摺り込まれそうになるときに
お風呂に入ってゆっくりしようとか
そんなことを考えられる

それが光です。


自分の気持ちを楽にすることを考えられる
それが光です。



暗い場所に
ただ力無く、引き摺り込まれることを
許すわけではない自分がいること


それが、光です。




まだまだ、これからです。
これからもわたしは
日々を重ねてゆくのでしょう。





また、会いましょう。

おやすみなさい。




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