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心を裸に


 毎日が礼に始まり、礼で終わるPeaceです。こんばんは。
というのも、基本的に従者となる方には必ず礼儀作法を躾けたいと考えるからです。というわけで主側もそこはきちんと毎日こなすわけです。そりゃ、言いだしっぺはいけませんからね。従者ばかり要求されているように感じるこの世界ですが、案外こんな風に二人の共同作業だったりするのです。そう考えると、命令もただの命令だと感じないかもしれません。

さて、「心を裸になさい」と主側は口を揃えて従者に命令するわけですが、逆の発想で主側はどうか。
そう考えると、主は従者に対して心を裸にするどころか、割と取り繕うことが多いかもしれません。さらには鞭に蝋燭、縄に拘束具に。。と完全武装なわけですよね。そしてそのような環境に慣れてらっしゃる従者の方も多いはず。いや実際私がそう追い込んでるわけなんだけど。笑

自戒の意も込めて、より従者が開発されるには、まずは主が従者に対して心を裸にしなくては始まらないのかもしれないと私は思った。そしてそこからようやく二人の信頼関係が築き上げられてゆくのかもしれません。考えてみれば当たり前のことなのですが。。

よもあれ、こうやって常に主従は洗練していくわけですから、やはり面白い。。



Ms.Peace


3つの在り方



真夜中に考え事をするのが、割りと好きなPeaceです。こんばんは。

今回は主従に関してお話いたします。特に珍しい話ではありません。基本的に主従は2つのタイプがあります。

一つは主が従に尽くすタイプ。二つ目に従が主に尽くすタイプ。こうやってカテゴライズすると、二つしかないでしょう。

そして私は考えました。
つまり3つ目ができるわけですね。両者が両者の為に相互に尽くし合うカタチ。主従は気持ちや関係性が要とよく言ったもので、結局両者にそういう気持ちがあれば、この3つ目に該当するのかもしれない。



Ms.Peace

やさしい哲学


 
ブログを先週から新設していた割に、まったく更新していなかったPeaceです。こんばんは。先ほどお風呂上りに微発砲のお酒を飲み、少し好い気分です。

現代の僕らには選択肢が腐るほどあるのかもしれない。探せば探すほどわからなくなる。もっともらしい答えもひとつじゃない。2つも3つもある。ネットで探せば星の数ほどある。仕合わせの形も、より不幸を知ることでどんどん変わって行く。正しいこともその時々で変わって行く。

だとすれば、僕らははなんと愚かな生き物なのだろう。幾度同じ過ちを繰り返しても、来世まで己のアイデンティティーを第三者に求め続けるかもしれない。

そうだね、僕らは渇望しているのかもしれない。仕合わせの合図を。


Ms.Peace


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