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先日、仕事がお休みだったので、美術館へ行ってきました!

目的は、現在展示されている絵画ではなく、新聞社主催の書道展です。

前期・中期・後期と3回に分かれているのですが各回とも公開期間が短いのです。(1週間もありません)
私が見に行来たかったのは、後期の展示。
その期間内で見に行ける日は1日だけしか無かった為、その日を逃すわけにはいかない! と、出不精の私でしたが外出しました!(笑)

思った以上の作品数に驚きました。
作品も様々で、漢詩もあれば和歌もあり、某ジブリ作品の主題歌の歌詞の一部を書いている人もいれば、現代詩を書いている人も。また、漢字一文字をその人の感性で表現したような「書」というよりも「アート」に近い作品も多数あり、文字の表現の面白さと幅の広さにわくわくしました。

やはり皆さん達筆でいらっしゃる……。

私ももう一度書道を習い直したいなと思いましたが、不定休な上、退勤時間を考えると習い事として通うのはほぼ無理に等しいなと(笑)
世知辛いです……。

字を綺麗に書けるというのはそれはもう素晴らしい長所であり特技だと思います。
そして、誰もが習得できる特技となり得るところもまた長所ですよね^^

私も、今はペン字の練習をしているのでそれがしっかりと身になるように精進致します!!

桜は散る


そしてツツジ咲く。

ツツジが終わるとサツキの季節がやってきて、紫陽花が咲きますね。
花が次々に変わるのと共に季節の移ろいも感じられます。
視覚や触覚で楽しめるのが醍醐味ですよね。
また、躑躅を見に行きたいです……^^

花言葉は
愛の喜び、情熱、初恋

日本ではとてもポピュラーな花ですよね。
ツツジのような赤紫色を「躑躅燃ゆ」と形容されるそうですよ。



文字が好き


文通は、メールやSNSが普及した今でこそ古風に思うかもしれない。
でも、DMのような一方通行のもの。イベントや観覧の往復はがきによる応募。年賀状や暑中見舞いなどの季節による葉書での挨拶。結婚式の招待状などのお知らせ。
そんな「郵便での遣り取り」と言うのは、何も特別な事ではない。
寧ろ、身近にあるもの。ありふれているもの。

だけど、「郵便での遣り取り」によってコミュニケーションを取る、言葉のキャッチボールをする機会は確かに少なくなっている。

リアルタイムでの反応ではないから。

けれど、私には文通のように時間に縛られないコミュニケーションの遣り取りが凄く好き。
文字を書くと言う行為も好き。
言葉を選んで書く。それがとても楽しい。
そして、それを行う為の文房具探し。これらに関わる労力も時間も全部引っ括めて好き。

LINEやメールのような、「目を通したら返事を書かなくては」と言う半強制感のあるものは何方かと言えば苦手。
気のおけない友人相手ならば、多少の放置も致し方ないと考えてくれるし私もそう考えている。私生活がお互い忙しいから。

それと、偶にある「こちらは返事が欲しい」ことに関して既読だけ付いたままで終わる時が凄く嫌なのです。
え?! 結局どうするの?!!
と、毎回そうなるのです。けれど返事の催促はしたくない。催促する程のものでもないので。それは時間が解決する内容だから。
端的に言うと、「どこか」へ出掛ける予定を立てていたけれど、その話の途中(と私は捉えている)で連絡が途切れる、と言う事態になるのが嫌なのです。
「○○時に△△集合でどう?」
と言う内容に対して、何かしらアクションが欲しい。面倒臭い奴と思われるかも知れません。しかし、これに対して無反応だと「応」とも「否」とも受け取れるわけです。
スケジュールを確認したいのであれば、そう言葉を添えてくれるだけでも有難いです。「OK」などのスタンプ1つでも良いです。
そのような反応の有無でも結構違います。
無反応だと、改めて日にちが近付いた際に「○日だけど、前送ったやつで良いのかな?」と、いちいちお伺いを立てるのも面倒なのですよ。二度手間。その間、その「○日」の予定を空けて置く必要がありますし。もしかしたら別の予定を入れられるかもしれないのに……。

勿論、利便性を感じるのはメールやSNSですけれどね!
リアルタイムでの遣り取りができるからこその利点です^^

けれど、手紙での遣り取りと言うのは、リアルタイムの会話では無いわけですから、やきもきとした気持ちになりにくいのです。相手の近況、こちらの近況を綴る程度のもの。以前はこう書いてあったけれど、今回はこれにハマっているのか、とか。手紙の封筒・紙が変わったから前回まで使っていたレターセットが無くなったのかな、とか。

そんな小さな変化を楽しめるのも、文通の醍醐味ではないかなと思っています。

文通のお相手を探したいなぁと思いつつも、現在は昔と違って物騒なので個人情報を渡すのも躊躇してしまいます。そう言った意味でも、難しいですね。

気付きました。


ひとりごとなので、流してください。

私、日本語が大好きなのですが、最近苦手な(自分が言われると不快感を得る)日本語がある事に気付きました。
自分でもびっくりです。今までそんな事なかったのに。

「何で?」

と、言われるのがとても苦手なのだと知りました。
恐らくそれは私がその、「何で?」と言う疑問に対する「答え」を持ち合わせていないからだと思います。
答えられないから。
若しくは、自分が「それが理由だ」と思った事を答えても、それに対して「何で?」が返ってきたり。
そうされると、もう何と答えたら良いのか分からないです。

最近は、「何で?」に対して恐怖心に近いものを感じているようないないような……。
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